オーガスチンとマルコの家

勤務している高崎聖オーガスチン教会や新町聖マルコ教会の情報やキリスト教文化や信仰などの話題を掲載します。

主イエス命名の日 聖餐式 『私たちのアイデンティティ』

本日は2022年の元日です。前橋の教会で「主イエス命名の日」の聖餐式を捧げました。司祭叙階の時のチャジブルを着て、思いを新たにしました。 聖書日課は出エジプト記34:1-9・ローマの信徒への手紙1:1-7・ルカによる福音書 2:15-21。説教では、イ…

新たなブログ「マッテアとマルコの家」へ

4月5日(月)から前橋聖マッテア教会で勤務しています。それに伴い新たなブログ「マッテアとマルコの家」を開設しました。アドレスは、https://markoji2.hatenablog.com/ です。よろしければアクセスしてご覧ください。今後はこちらのブログをよろしくお願いい…

復活日 聖餐式 『日常生活の中で復活の主に出会う』

本日は復活日。高崎の教会で聖餐式を捧げました。この度の人事異動で私は前橋聖マッテア教会に異動となり、本日が高崎での最後の勤務でした。 聖餐式の聖書箇所は、使徒言行録10:34-43 とマルコによる福音書16:1-8。説教では、「空の墓」におられる天使…

聖金曜日(受苦日)礼拝 『真理とは何か・・・この人を見よ』

本日は聖金曜日(受苦日)。高崎の教会で聖金曜日の礼拝を捧げました。 聖餐式の聖書箇所は、イザヤ書 52:13-53:12とヨハネによる福音書18:1-19:37。説教では、ピラトの言った2つの言葉「真理とは何か」と「見よ、この男だ」にスポットを当て思い巡ら…

復活前主日(しゅろの主日) 聖餐式 『主イエス様の祈りに倣う』

本日は復活前主日。午前は高崎、午後は新町の教会で聖餐式を捧げました。二つの教会とも聖餐式に先立って「しゅろの十字架の祝別」を行い、祝別されたしゅろの十字架をお持ち帰りいただきました。 聖餐式の聖書箇所は、フィリピの信徒への手紙2:5-11とマル…

「いつくしみ深き(聖歌482番・讃美歌312番)」に思う

先日、3月18日に私がチャプレンをしている玉村町のマーガレット幼稚園の卒園式がありました。その中で都澤しづ子園長先生が園長式辞で卒園するバラ組の皆さんへ『「いつくしみ深き」の聖歌を忘れずにいてほしい』と話しておりました。この聖歌(聖歌482番…

大斎節第5主日聖餐式 『一粒の麦によって生かされる』

本日は大斎節第5主日。高崎の教会で聖餐式を捧げました。聖書箇所は、エレミヤ書31:31-34とヨハネによる福音書12:20-33。説教では、一粒の麦に例えたイエス様の生き方について思い巡らし、イエス様によって生かされた私たちが今度は自分を献げる生き方…

「T. S. エリオットの詩と信仰(3)」

これまでT. S. エリオットの詩と信仰について2回取り上げました。最初は、彼の詩「聖灰水曜日(灰の水曜日)」について、2回目は詩集「キャッツ - ポッサムおじさんの猫とつき合う法」とミュージカル「キャッツ」についてでした。今回は彼の詩業の集大成で…

大斎節第4主日聖餐式 『小さな賜物をイエス様へ』

本日は大斎節第4主日(バラの主日)。新町の教会で聖餐式を捧げました(高崎は「み言葉の礼拝)。 聖書箇所は、エフェソの信徒への手紙2:4-10とヨハネによる福音書6:4-15(五千人の給食)。説教では、イエス様は「持っているものの計算」を「よし」とされ…

ケルティック・ウーマン『You raise me up』に思う

先主日は、当日の福音書箇所「宮清め」の「立て直す」と訳されたギリシャ語「エゲイロー」が英語では「raise~up」であり、この言葉から思い浮かべる曲『You raise me up』について言及しました。説教では時間の制約やテーマとの関連等からこの曲の歌詞の一…

大斎節第3主日聖餐式 『私たちを起き上がらせるイエス様』

本日は大斎節第3主日。高崎の教会で聖餐式を捧げました。 聖書箇所は、出エジプト記20:1-17とヨハネによる福音書2:13-22。説教では、「宮清め」の箇所から、イエス様が示した十字架・復活の予告について知り、私たちを起き上がらせるイエス様に思いを馳…

「T. S. エリオットの詩と信仰(2)」

前回、T. S. エリオットの詩、主に「聖灰水曜日(灰の水曜日)」と彼の信仰について思い巡らしました。この作品は英国国教会に転会した3年後の作品で、信仰の道を歩む決意を感じさせる宗教詩であると結論づけました。今回は、彼の詩集「キャッツ - ポッサム…

大斎節第2主日聖餐式 『キリストの後に従う』

本日は大斎節第2主日。午前高崎、午後新町の教会で聖餐式を捧げました。聖書箇所は、ローマの信徒への手紙8:31-39とマルコによる福音書8:31-38。説教では、マルコ8:34を中心聖句として思い巡らし、「十字架を負うこと」や「主イエスの後に従うこと…

「T. S. エリオットの詩と信仰(1)」

今年は2月17日(水)が大斎始日で、高崎の教会で「灰の水曜日」の礼拝を捧げました。私は教育公務員でしたので、平日の礼拝にはほとんど出たことがありませんでした。ただ、「灰の水曜日」の礼拝は、東京出張の帰りに寄った四谷の聖イグナチオ教会で「灰の…

大斎節第1主日聖餐式 『荒れ野で支えてくださる神』

本日は大斎節第1主日。高崎の教会で聖餐式を捧げました。礼拝後、堅信受領者総会があり、報告や予算案等が承認されました。礼拝の聖書箇所は、ペトロの手紙一 3:18-22とマルコによる福音書 1:9-13 。説教では、大斎節の始まりに当たり、荒れ野で神が支…

大斎始日(灰の水曜日)の礼拝 『隠れた神と心を合わせる』

本日から大斎節です。高崎の教会で「大斎始日(灰の水曜日)の礼拝」を捧げました。悔い改めのしるしとして額に灰の十字架のしるしを受けました。 礼拝の聖書箇所は、ヨエル書2章1節以下とマタイによる福音書6章1節以下。説教では、「灰の水曜日」の由来…

大斎節前主日 『イエスに聞き栄光の姿へ』

本日は大斎節前主日。新町の教会で聖餐式を捧げました(高崎は「み言葉の礼拝」)。新町は礼拝後、堅信受領者総会があり、報告や予算案等、すべて承認されました。礼拝の聖書箇所は、ペトロの手紙二 1:16-19とマルコによる福音書 9:2-9。説教では、「変…

「星の王子さまとキリスト教(2)」

2週間ほど前のブログで「星の王子さまとキリスト教」について、特に最も有名な「一番大切なことは目に見えない」の言葉にスポットを当てて記しました。今回はさらに一歩踏み込んで、「星の王子さまはイエス様ではないか」ということを中心に述べてみたいと…

顕現後第5主日聖餐式 『仕えることと祈ること』

本日は顕現後第5主日。高崎の教会で聖餐式を捧げました。聖書箇所は、コリントの信徒への手紙一9:16-23とマルコによる福音書1:29-39。説教では、シモンのしゅうとめの癒やしと宣教の箇所から「人々に仕えることと神に祈ること」の必要性を理解し、イエ…

『なかにし礼~「愛のさざなみ」に思う~ 』

前々回のブログで浜口庫之助作詞・作曲の「バラが咲いた」の基となった「星の王子さま」について述べましたが、ハマクラ作品として世俗の中で聖なるものを感じさせるものとしては、なかにし礼作詞・浜口庫之助作曲で島倉千代子が歌った「愛のさざなみ」を挙…

顕現後第4主日聖餐式 『権威ある新しい教えを聞く』

15世紀のフランスで使われていた時祷書(時間ごとの祈りの書)の中にある「汚れた霊を追い出すイエス」の挿絵です。 本日は顕現後第4主日。高崎の教会で聖餐式を捧げました。聖書箇所は、申命記18:15-20とマルコによる福音書1:21-28。説教では、「汚…

「星の王子さまとキリスト教」

前々回のブログで、浜口庫之助作詞・作曲の「バラが咲いた」はサン=テグジュペリの『星の王子さま』のバラをイメージして書かれたようだ、ということを記しました。 『星の王子さま』は1943年の初出版以来、世界の発行部数は1億4500万部以上、翻訳された言語…

顕現後第3主日 主教巡回・堅信式(高崎)『弟子である私たちの召命』

本日は顕現後第3主日。みぞれ混じりの天候でした。 高崎の教会は主教巡回でした。 主教様の司式・説教で堅信式がありました。高崎では2009年2月以来の堅信式でした。 聖書箇所は、エレミヤ書 3:21-4:2とマルコによる福音書 1:14-20。 私は午後3時から…

浜口庫之助の音楽~「バラが咲いた」に思う~

前々回のブログで「スリー・グレイセス」を取り上げ、世俗の中にある聖なるものについて記しましたが、その関連で、歌謡曲の世界ですぐに思い浮かぶキリスト者の作曲家が浜口庫之助です。 浜口庫之助は1917年神戸市生まれで、愛称はハマクラです。一家はキリ…

顕現後第2主日聖餐式 『イエス様の弟子として』

本日は顕現後第2主日。高崎の教会で聖餐式を捧げました。聖書箇所はサムエル記上3:1-10とヨハネによる福音書1:43-51。説教では、フィリポとナタナエルがイエス様に出会う場面から思い巡らし、イエス様の弟子として「来て、見なさい」という呼びかけに答…

「スリー・グレイセスに思う」

前々回のブログで、「世俗の中に聖なるものを見出す」ということを述べましたが、そのことで思い浮かぶことの一つに「スリー・グレイセス」のことが挙げられます。 「スリー・グレイセス」はご存知ですか? 私より上の世代には馴染みのある女性3人組のコー…

顕現後第1主日・主イエス洗礼の日聖餐式 『イエス様の洗礼・私たちの洗礼』

本日は顕現後第1主日・主イエス洗礼の日。新町の教会で聖餐式を捧げました(高崎はみ言葉の礼拝)。聖書箇所はイザヤ書 42:1-9とマルコによる福音書1:7-11。説教では、キリストの洗礼の場面から、イエス様が洗礼を受けた意味及び私たちが洗礼を受ける意…

「クリスマス・オラトリオ(バッハ)に思う」

先主日の説教で「顕現日までがクリスマスシーズン」という話をしましたが、そのことで思い浮かべる曲があります。それが、バッハの「クリスマス・オラトリオ」です。「クリスマス・オラトリオ」 BWV 248 は、ヨハン・ゼバスチャン・バッハが1734年に作曲した…

降誕後第2主日聖餐式 『主が必要とされるものを献げる』

1月6日の顕現日に聖餐式がありませんので、本日は顕現日のインテンションで礼拝を行いました。福音書は、「東方三博士の礼拝」の箇所です。今日は、博士たちの礼拝の意味を考え、自分の持てるもので主が必要とされるものを献げるよう勧めました。 『主が必…

主イエス命名の日・元旦礼拝 『イエス様の御名を広める』

本日は主イエス命名の日。高崎の教会で元旦礼拝としても聖餐式を捧げました。久しぶりに司祭叙階の時のチャジブルを着て、思いを新たにしました。 説教では、「イエス(主は救い)」命名の意味を考え、私たちそれぞれに与えられた名前や教名の由来について思…