オーガスチンとマルコの家

勤務している高崎聖オーガスチン教会や新町聖マルコ教会の情報やキリスト教文化や信仰などの話題を掲載します。

主イエス命名の日・元旦礼拝 『イエス様の御名を広める』

 本日は主イエス命名の日。高崎の教会で元旦礼拝としても聖餐式を捧げました。久しぶりに司祭叙階の時のチャジブルを着て、思いを新たにしました。

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 説教では、「イエス(主は救い)」命名の意味を考え、私たちそれぞれに与えられた名前や教名の由来について思い巡らすよう勧めました。

 <説教>
 父と子と聖霊の御名によって。アーメン

 皆さん、新年あけましておめでとうございます。元旦、お正月の朝に皆さんとご一緒に礼拝を献げることができ、感謝いたします。
 今日は教会の暦の上では、「主イエス命名の日」という特別の日です。幼子イエス様がお生まれになって8日目に「イエス」と名付けられた日です。「イエス」はヘブライ語では「ヨシュア」であり、「主は救い」という意味です。ユダヤ教の律法では、男児の場合は出産後8日目に割礼を施さなければならないことになっており、そのときに「イエス」と名付けられたのでした。
 
 さて、今日の聖書についてですが、福音書箇所はルカによる福音書2章15節から21節で、クリスマスイブの夕の礼拝でも読まれた箇所に21節が加わっているものです。21節はこうです。『八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。』
 このように、本日の箇所は胎内に宿る前に天使から示された名前「イエス」が幼子に付けられたというルカ版の誕生物語からです。
 本日はこの箇所が私たちに伝えるメッセージについて、ことに21節の主イエス命名の意味等について思い巡らしたいと思います。

 私たちには皆、それぞれ名前があります。私たち一人一人の名前には親たちの思いが込められています。私の名前は「弘二」と言いますが、これは、母の弟の弘(ひろむ)の字を取り、私が次男であるから二をつけ、両親が「弘さんのような人になってほしい」と願ってつけたものです。弘おじさんは高校野球で甲子園に出場し、国立の一期校に入り、卒業後外資系の大企業の会社に入った人です。私の両親は私にそのような人生を送ってほしいと思って「弘二」と名付けたようです。日本では、このように両親や祖父母などが願いを込めて名を付けるのが一般的だと思います。

 ユダヤの人々にとっても、「名前」というのは特別な意味を持っていました。日本でも「名は体を表す」と言いますが、人や物の「名」はその本質を表すものと考えられたのです。例えば、創世記で、アダムがあらゆる動物に名をつけるところが出てきますが、それは単に名前をつけるということではなく、それぞれの生き物をあらしめる、その存在を定義するということでもありました。私たちが祈るときに、「主イエス・キリストのみ名によって」と言うのも、やはり実はイエス・キリストご自身を通じてということを表しています。そして、イエス様はその名前の通り「私たちの救い」として、全ての人間の前に現れたのであります。
 なお、「イエス」という名前は、並行箇所のマタイ福音書1:21で示されたマリアの夫、ヨセフの夢に天使が現れて言った言葉「マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」に従った命名でもあります。

 両親が考え名付けた「弘二」という名前ですが、大きく見れば、神様が両親を通して私に与えたとも考えられます。イエス様により救われキリスト者となった私は、今、その名前に新たな意味を見出しています。漢字辞典に寄れば 「弘」の由来は弓を力強く引く様子であり、意味は「広い。広める。大きい」とありました。ちなみに、弘法大師の弘法は「仏の教えを広めること」です。「二」の意味は「二つ。二番目。二回」などがありました。そうであれば「弘二」とは「二つのことを広める」ということです。二つとは何でしょうか? それはキリスト者である私にとってはイエス様が大事にしていた二つの教え、「神を愛することと隣人を愛すること」と考えます。それを広めることが私の使命だと今は思っています。
 また、本日の使徒書、ローマの信徒への手紙1:5にはこうあります。「私たちは、この方により、その御名を広めてすべての異邦人を信仰による従順へと導くために、恵みを受けて使徒とされました。」
 私たちは、イエス様の御名を広め信仰に導くために使徒とされたのです。
 続く6節はこうです。「あなたがたも異邦人の中にあって、召されてイエス・キリストのものとなったのです。」
 これは私たちにも言えることです。私たちは、このキリスト者が人口の0.8%しかいない日本において、招かれてイエス様のものとなったのであります。

 名前ということでは、さらに教名(洗礼名)に注目したいと思います。それを持っているのは、私たち聖公会カトリック教会と正教会だけです。私であればマルコです。私にとってはイエス様とともに、マルコの生き方が目標です。私の人生の様々な時に守ってくださる守護聖人でもあります。マルコはイエス様が捕まったとき、ローマ兵に上着をつかまれ、それを取られて逃げるほどの信仰しかありませんでしたが、その後パウロの宣教旅行に同行し、最後には殉教したと伝わっています。マルコは史上初の福音書というイエス様の福音(ゴスペル)を伝える書物を記しました。4つある福音書ではマルコによる福音書が一番最初に作成されたのです。教名(洗礼名)をいただいている方は、その人物や名前に注目し、その人物の生き方や言葉の意味について思い巡らすことをお勧めします。

 皆さん、新しい年の始まりにあたって、イエス様が「イエス(主は救い)」と命名されたことの意味をじっくりと考え、私たちそれぞれに与えられた名前や教名から、自分の立脚点や目標を再確認いたしましょう。私たちは今、これまでに経験したことのない新型コロナウイルスの感染による大きな試練に直面していますが、神様は必ず脱出の道を示してくださることを信じます。私たちはイエス様やそれぞれの教名の聖人等の模範にならうとともに、イエス様によって救われたキリスト者として主の御名を広めるよう祈り求めて参りたいと思います。

 一言お祈りいたします。
 父なる神様、主イエス命名の日、そして一年の始まりの元旦礼拝に、私たちをお招きくださり、ありがとうございます。あなたは、独りのみ子をこの世に送り、「主は救い」を表すイエスと名付けられました。私たちはそれぞれに与えられた名前や教名から自分の立脚点や目標を再確認して参ります。どうか私たちが、イエス様やそれぞれの教名の聖人等の模範にならい、キリスト者として主の御名を広めることができるようにしてください。そして、先行きが不透明な年を、あなたの御心に従って生きることができるようお導きください。
 これらの感謝と祈りを、私たちの主イエス・キリストの御名によって御前にお捧げいたします。アーメン