オーガスチンとマルコの家

勤務している高崎聖オーガスチン教会や新町聖マルコ教会の情報やキリスト教文化や信仰などの話題を掲載します。

2021-01-01から1ヶ月間の記事一覧

顕現後第4主日聖餐式 『権威ある新しい教えを聞く』

15世紀のフランスで使われていた時祷書(時間ごとの祈りの書)の中にある「汚れた霊を追い出すイエス」の挿絵です。 本日は顕現後第4主日。高崎の教会で聖餐式を捧げました。聖書箇所は、申命記18:15-20とマルコによる福音書1:21-28。説教では、「汚…

「星の王子さまとキリスト教」

前々回のブログで、浜口庫之助作詞・作曲の「バラが咲いた」はサン=テグジュペリの『星の王子さま』のバラをイメージして書かれたようだ、ということを記しました。 『星の王子さま』は1943年の初出版以来、世界の発行部数は1億4500万部以上、翻訳された言語…

顕現後第3主日 主教巡回・堅信式(高崎)『弟子である私たちの召命』

本日は顕現後第3主日。みぞれ混じりの天候でした。 高崎の教会は主教巡回でした。 主教様の司式・説教で堅信式がありました。高崎では2009年2月以来の堅信式でした。 聖書箇所は、エレミヤ書 3:21-4:2とマルコによる福音書 1:14-20。 私は午後3時から…

浜口庫之助の音楽~「バラが咲いた」に思う~

前々回のブログで「スリー・グレイセス」を取り上げ、世俗の中にある聖なるものについて記しましたが、その関連で、歌謡曲の世界ですぐに思い浮かぶキリスト者の作曲家が浜口庫之助です。 浜口庫之助は1917年神戸市生まれで、愛称はハマクラです。一家はキリ…

顕現後第2主日聖餐式 『イエス様の弟子として』

本日は顕現後第2主日。高崎の教会で聖餐式を捧げました。聖書箇所はサムエル記上3:1-10とヨハネによる福音書1:43-51。説教では、フィリポとナタナエルがイエス様に出会う場面から思い巡らし、イエス様の弟子として「来て、見なさい」という呼びかけに答…

「スリー・グレイセスに思う」

前々回のブログで、「世俗の中に聖なるものを見出す」ということを述べましたが、そのことで思い浮かぶことの一つに「スリー・グレイセス」のことが挙げられます。 「スリー・グレイセス」はご存知ですか? 私より上の世代には馴染みのある女性3人組のコー…

顕現後第1主日・主イエス洗礼の日聖餐式 『イエス様の洗礼・私たちの洗礼』

本日は顕現後第1主日・主イエス洗礼の日。新町の教会で聖餐式を捧げました(高崎はみ言葉の礼拝)。聖書箇所はイザヤ書 42:1-9とマルコによる福音書1:7-11。説教では、キリストの洗礼の場面から、イエス様が洗礼を受けた意味及び私たちが洗礼を受ける意…

「クリスマス・オラトリオ(バッハ)に思う」

先主日の説教で「顕現日までがクリスマスシーズン」という話をしましたが、そのことで思い浮かべる曲があります。それが、バッハの「クリスマス・オラトリオ」です。「クリスマス・オラトリオ」 BWV 248 は、ヨハン・ゼバスチャン・バッハが1734年に作曲した…

降誕後第2主日聖餐式 『主が必要とされるものを献げる』

1月6日の顕現日に聖餐式がありませんので、本日は顕現日のインテンションで礼拝を行いました。福音書は、「東方三博士の礼拝」の箇所です。今日は、博士たちの礼拝の意味を考え、自分の持てるもので主が必要とされるものを献げるよう勧めました。 『主が必…

主イエス命名の日・元旦礼拝 『イエス様の御名を広める』

本日は主イエス命名の日。高崎の教会で元旦礼拝としても聖餐式を捧げました。久しぶりに司祭叙階の時のチャジブルを着て、思いを新たにしました。 説教では、「イエス(主は救い)」命名の意味を考え、私たちそれぞれに与えられた名前や教名の由来について思…