オーガスチンとマルコの家

勤務している高崎聖オーガスチン教会や新町聖マルコ教会の情報やキリスト教文化や信仰などの話題を掲載します。

復活日 聖餐式 『日常生活の中で復活の主に出会う』

 本日は復活日。高崎の教会で聖餐式を捧げました。この度の人事異動で私は前橋聖マッテア教会に異動となり、本日が高崎での最後の勤務でした。
 聖餐式の聖書箇所は、使徒言行録10:34-43 とマルコによる福音書16:1-8。説教では、「空の墓」におられる天使のような若者の言葉『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる。』にスポットを当て思い巡らしました。
 2000年に公開されたミュージカル映画ジーザス・クライスト=スーパースター」にも言及しました。
 なお、この「オーガスチンとマルコの家」のブログの掲載は本日で終了し、次回からは「マッテアとマルコの家」のブログを開設し、記事を掲載していく予定です。

 

      『日常生活の中で復活の主に出会う』

<説教>
 父と子と聖霊の御名によって。アーメン

 主のご復活おめでとうございます。
 本日は復活日、イースターです。昨年は公祷休止でしたが、今年は皆様とお祝いすることができ、そのことは良かったと思います。しかしながら、新型コロナウイルスの感染は未だ世界中に蔓延していて、東京教区では未だ会衆と共に行う礼拝は休止が続いております。当教会でも礼拝後の祝会は中止し、イースター・エッグの配付も見送りました。その代わりに教会委員会で検討し「み言葉せんべい」をプレゼントすることにしました。どうぞお帰りにはお持ち帰りください。

 ところで、私は、この度の辞令により、前橋聖マッテア教会へ異動となりました。教区の方針で復活日まで人事異動前の体制で行い、本日が私の高崎での最後の勤務であります。榛名聖公教会との兼務から3年間、高崎専従となって2年間の勤務でした。その間、聖堂改修並びに会館落成感謝礼拝や私自身の司祭按手式がこの聖堂で行われ、本当に感慨深く、皆さんに心から感謝しております。高崎聖オーガスチン教会のこれからの歩みの上に、主のみ守りと恵みがありますようお祈りいたします。大変お世話になりました。
 
  さて、本日の福音書箇所についてですが、今年はB年でマルコによる福音書の16章を朗読しました。こんなお話でした。
 イエス様が金曜日に十字架につけられて亡くなり、墓に葬られ、マグダラのマリアヤコブの母マリア、サロメがイエス様の遺体をもっと丁寧に処理しようと思い、日曜日の朝早く墓に行きました。当時は大きな横穴式のお墓で大きな石で蓋をしていたのですが、墓の入口の石が取り除かれ開いていて、イエス様の体がなく空(から)でした。そこに天使と思われる白い衣を着た若者がいて、「あの方は復活なさって、ここにはおられない。」ということを告げました。それは驚きの事だったと思われます。さらにこう言いました。「御覧なさい。お納めした場所である。」と。空の墓を見せて、そして「弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる。』」というメッセージを告げました。この墓が空であるという不思議な出来事に触れ、天使の話を聞いて、この婦人たちはただただ驚きの中にあっただろうと思われます。

 今は、エルサレムの旧市街地にあるゴルゴダの丘とイエス様のお墓に巨大な聖墳墓教会という教会が立っていて、お納めしていた所がその中にあり、巡礼地になっています。私は3年前にイスラエル聖地旅行に行きましたが、旅の終わりにそこを訪ねました。ものすごい人でお墓の内部に入るのに3時間かかるというので入るのを諦めました。その時「ここには何もない、イエス様はここにはおられないのだからまあ入らなくてもいいかな」と思って、お墓を外から見て「入ることができなくても仕方がない」と自分に納得させたことを思い出しました。

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 今日の福音書の箇所では、7節にある、天使の言った『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる。』という言葉に注目しました。ガリラヤというのは弟子たちの馴染みの場所、仕事をしたり暮らしたり、そしてイエス様と共にいた自分たちの故郷です。イエス様が亡くなったのはエルサレムで、ナザレの人々にとっては馴染みのない所でイエス様は亡くなられたのですが、復活されるのはガリラヤということです。弟子たちにとって、自分たちが働いて暮らしていたその場所でイエス様が復活して、出会ってくださるというのです。これは本当に大きな恵みだと思います。
 では、私たちにとっての「ガリラヤ」とはどこでしょうか? それは私たちの今の現実の日常生活ではないでしょうか? 自分が今暮らしている家庭や学校や会社、地域など、生活し活動しているいつもの馴染みの場所が、私たちのガリラヤなのだと思います。そのガリラヤで私たちも復活した主に出会うことができる。それをこの天使が私たちに告げている、そう思うのです。

 一昨日の聖金曜日(受苦日)の礼拝の説教で、この聖週に映画「パッション」をDVDで見たことをお話ししましたが、もう一本この映画も最近DVDで見ました。

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 それは「ジーザス・クライスト=スーパースター」という2000年に公開されたミュージカル映画です。「オペラ座の怪人」等で有名なロイド・ウェーバー作曲によるロック・オペラです。実は「ジーザス・クライスト=スーパースター」には1973年に公開されたものもあるのですが、そちらはイエス様最後の七日間を基本的には2000年前のエルサレムを舞台に描いています。それに対してこの2000年版の方は、ブロードウェイでのリバイバル上演をベースに、舞台を現代のニューヨークとして、そこでイエス様が生き、人々と関わり、受難物語が進行していました。それはまるで、イエス様は2000年前のイスラエルの過去の遠いところの人ではない、今の自分の生きている日常生活の中で、私たちはイエス様に日々出会うことができるのだと言っているように思いました。

 さらに、先ほど注目した天使の言葉『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる。』では「あなたがたより先に」「~行かれる。」と語っています。この言い回しは意味深いと思われます。イエス様は、私たちよりも先に行かれる、行って待っていてくださる。そこに私たちが行くのです。これは、私たちはイエス様のみ跡を歩むということです。するとそこでイエス様にお会いすることができるのです。
 言い換えれば、イエス様のみ跡を歩むことで、日常生活の中で復活の主イエス様に出会うことができるのだと言えます。その時、私たちに必要なものは何でしょうか? それは「信仰の目」だと思います。その目を持てば「空の墓」を見て、その先にあるものを見ることができます。それにより、天使の言った「あの方は復活なさって、ここにはおられない。」「あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。~そこでお目にかかれる。」という言葉の意味を正しく理解できるでしょう。
 2000年前の弟子たちは、イエス様の十字架を前に「イエス様を知らない」と言ってちりぢりになってしまいましたが、その後、復活の主と出会って、生き方が変わり、新たな信仰者として力強く歩み出しました。復活の証人としてです。このように復活の主に出会うことにより、新たな人生を歩むことができるのです。

 皆さん、復活日を迎えた私たちは、その喜びを味わうと共に、「空の墓」の先を見る信仰の目を養っていきたいと願います。そして、主イエス様のみ跡に従い、それぞれのガリラヤである、今、ここの日常生活の中で復活の主に出会い、復活の証人として力強く歩んでいくことができるよう祈り求めたいと思います。