オーガスチンとマルコの家

勤務している高崎聖オーガスチン教会や新町聖マルコ教会の情報やキリスト教文化や信仰などの話題を掲載します。

「クリスマス・オラトリオ(バッハ)に思う」

 先主日の説教で「顕現日までがクリスマスシーズン」という話をしましたが、そのことで思い浮かべる曲があります。それが、バッハの「クリスマス・オラトリオ」です。「クリスマス・オラトリオ」 BWV 248 は、ヨハン・ゼバスチャン・バッハが1734年に作曲したオラトリオです。教会でクリスマスシーズン(降誕節の12日間, 12月25日~1月6日)に、聖歌隊、独唱陣そしてオーケストラにより演奏するために作曲されました。
 私が聞き親しんできたのはガーディナーのこのCDです。明るい弾んだような演奏です。ジャケットは「東方三博士の礼拝」の絵画です。

f:id:markoji:20210105235809j:plain

 「クリスマス・オラトリオ」は全6部(計64曲)から成るカンタータ集で、演奏する際は教会暦に沿って降誕日(12月25日)から顕現日(1月6日)の内、主日と祝日の計6日間に全6部を1日1部ずつ行いますが、現代のコンサートなどでは全6部を休憩をはさみ、一度に演奏することが一般的です。また、年末に第1部から第3部、年明けに第4部から第6部など分割して演奏されることもあります。第1部~第6部の構成は以下のようです。
第1部 降誕節第1祝日用 (12月25日)
第2部 降誕節第2祝日用 (12月26日)
第3部 降誕節第3祝日用 (12月27日)
第4部 元日用 (1月1日)
第5部 元日後の第1主日
第6部 顕現日(1月6日) 

 「クリスマス・オラトリオ」は下記のアドレスのyoutubeで全曲聞く(見る)ことができます。アーノンクールがキャソックを身にまとい、ウイーンの教会で本格的な衣装の聖歌隊とオーケストラを指揮しています
https://www.youtube.com/watch?v=LJts7bpW2VE

 今回は第6部にスポットを当てます。翻訳等を下に示します。
[第6部]  
第54曲 合唱
主よ、不遜な敵対する者たちが息巻くとき、わたしたちが堅固な信仰をもって、
あなたの力と助けを見いだせるようにしてください。
わたしたちはあなたに、すべてをまかせよう。そうすればわたしたちは、敵対する者の鋭い爪にも 無事に逃がれることができる。  
第55曲 レチタティーヴォ=テノール(福音記者)
そこで、ヘロデは占星の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、そのことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう。」と言ってベツレヘムへ送り出した。
(マタイ福音2・7~8)
第56曲 レチタティーヴォ=ソプラノ
いつわり者よ、主を倒すことを求めるがいい。 あらゆる悪い策略で救い主をねらうがいい。
人はその力を測り知ることはできない。主は堅固な御手の中におられる。
おまえの誤った心をすでに、そのあらゆる企みとともに、いと高き御子がお前が倒そうとしている者を、よくご存じだ。   
第57曲 アリア=ソプラノ
主の手の動きひとつが、無力な人間の権力を倒す。
これですべての力もつきてしまう。
いと高き方のただ一言で、敵対するものの奢りは終わる。
おお、わたしたちは速やかに人の考えを変えなくてはならないのだ。 
第58曲 レチタティーヴォ=テノール(福音記者)
彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。
(マタイ福音2・9~11)
第59曲 コラール=合唱
わたしは あなたの飼い葉桶そばに立つ。おお、幼子イエス、わたしの生命よ。
わたしが来て、あなたに贈るものは、あなたがわたしに与えてくださったものです。
受けてください。わたしの精神と思い、心、魂と気持ちをすべてお受けください。それがあなたの心に適うように。  
第60曲 レチタティーヴォ=テノール(福音記者)
ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。(マタイ福音2・12)
第61曲 レチタティーヴォ=テノール
では行け。これでよいのだ。わたしの大切な方がここから去ることはない。
主はわたしのそばにおられ、わたしもまた主から離れない。
主の腕は愛によって 柔和に満ちた思いと、この上なきやさしさで抱いてくださる。
主こそわたしの永遠の花婿。わたしは主に胸と心を捧げる。
わたしはたしかに知る、主はわたしを愛する、と。
わたしの心も主をあつく愛し、主を永遠にたたえる。
今わたしにどんな敵によって、幸せを見誤ることがあるだろうか。
エスよ、わたしの友であり続けてください。
そして不安なわたしはあなたに願う。
主よ、助けてください。そしてわたしに救いを悟らせてください。
第62曲 アリア=テノール 
今あなたたちは不遜な敵対する者たちに驚いている。
いったいわたしにどんな恐れを呼おこすというのか。
わたしの宝、わたしの守りは、わたしのこのそばにおられる。
あなたたちが怒りに満ちても、 わたしを完全に打ち倒すために迫っても、
そうです、わたしの救い主はここに住まう。 
第63曲 レチタティーヴォ=四重唱ソプラノ、アルト、テノール、バス
陰府(よみ)の恐れとは何か。
世も罪もわたしたちにとって何ものでもない、わたしたちがイエスの御手の中で休らっていれば。   
第64曲 コラール=合唱
あなたは今やみごとに報復をされた、あなた方の敵対する者の大軍に。
キリストは打ち破った、あなた方に敵対する者たちを。
死、悪霊、罪と陰府(よみ)は、すっかり力を弱めた。
神のそばに自分の居場所を、人間は得たのだ。 

 先主日福音書箇所であるマタイによる福音書2:1-12の「東方三博士の礼拝」の物語が、まばゆいほどの光彩と愛らしい叙情性をもって彩られています。
 また、マタイ受難曲で採用されたコラールなどが何度も形を変えて出てきます。聖歌145「血潮したたる」などです。そのことでは、磯山雅「バッハ=魂のエヴァンゲリスト」の中の文章が参考になります。

f:id:markoji:20210105235858j:plain

 この本の中にこうあります・
「バッハはこの曲の合唱曲やアリアをほとんど近作の世俗カンタータから流用したのであるが、詩においても音楽においてもこのパロディはうまくいっていて言葉と音の間に齟齬を感じさせない。(中略)パロディ作品であることは、<クリスマス・オラトリオ>の価値をおとしめることには少しもならない。領主一家をたたえた音楽は、今ではレチタティーヴォやコラールに彩られつつ、新しいコンテクストのもとでよみがえった」(P.240~241)
 ちなみに、パロディとは分かりやすい例をあげると、自作のヴァイオリン協奏曲をチェンバロ協奏曲に編曲するというようなやり方です。「クリスマス・オラトリオ」はこれとは異なり、すでに作曲された多声声楽曲を転用し、その歌詞を全く異なる歌詞に置き換えて新しい楽曲として作り替えています。

 ここに私はバッハから学ぶある点を見出します。それは、聖なるものも実は世俗の中にあり、それを見方や形を変えて聖なるものとすることもできるということです。そのようなことをなしたバッハを磯山雅は「魂のエヴァンゲリスト(福音記者)」と言っています。そのようなことができたのもバッハがルターを通してイエス様に出会ったからと考えます。それは、イエス様と出会った博士たちが別の道で帰る、つまり別の人生を歩むようになったことと同様です。そしてそれは、人生の途中でイエス様に出会い新たな道を歩むようになった私たちにも言えることです。私たちは世俗の中に聖なるものを見出すよう、また、今のこの現実を見方や形を変えて聖なるものできるよう祈り求めたいと思います。