オーガスチンとマルコの家

勤務している高崎聖オーガスチン教会や新町聖マルコ教会の情報やキリスト教文化や信仰などの話題を掲載します。

『讃美歌「いまこそ来ませ」とカンタータ第61番』に思う

 先主日降臨節第1主日でした。アドベント第1主日待降節第1主日とも言います。その日にはプロテスタントの教会、特にルター派の教会では、「今こそ来ませ」の讃美歌を歌うことが多いようです。この曲は讃美歌第二編第96番、教会讃美歌第1番です。聖公会の聖歌にはありません。歌詞が少し変わりましたが讃美歌21(第229番)にも収められています。
  讃美歌「いまこそ来ませ」は宗教改革者ルターの作です。歌詞も旋律も中世以来のものと思われますが、ルターが1524年にアンブロシウスのラテン語原文をドイツ語に翻訳し、旋律もアレンジしました。このコラール(讃美歌)は、ヨハン・ゼバスチャン・バッハのカンタータ第61番と第62番に引用されて、広く親しまれています。

 讃美歌第二編第96番「いまこそ来ませ」の歌詞は以下の通りです。
1.いまこそ来ませ この世のために
  マリヤにやどる 神の子イェスよ。 
2.み座よりくだり 罪とが負いて
  われらを救い み許にかえる。 
3.あらたな光 まぶねの中に
  輝きわたる 世界ののぞみ。 
4.父なる神と、ひとりのみ子と
  み霊の神に、 みさかえあれや。

 この曲は今、FEBC(キリスト教放送局)の「今週の讃美歌」としてこの月曜から毎日、ラジオやインターネットで流れています。http://netradio.febcjp.com/2020/11/30/tody201130/
 FEBCは私はもう30年以上聞いている放送ですが、プロテスタントだけでなくカトリック聖公会まで網羅した豊富な番組がありますので、ぜひお聴きいただきたいと思います。
 この讃美歌をバッハはカンタータ61番と62番で取り上げています。私はこのCDのガーディナーの演奏で聞いています。

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 バッハのカンタータ第61番《いざ来ませ、異邦人の救い主》BWV61(Nun komm, der Heiden Heiland)は1714年12月 2日の 待降節第1日曜日にワイマールの宮廷礼拝堂で初演されました。第62番は、10年後の1724年12月 3日にライプツィヒの聖トーマス教会で演奏するために作曲されました。今回は第61番を取り上げます。
 Youtube では以下のアドレスで、アーノンクールの演奏を見る(聞く)ことができます。https://www.youtube.com/watch?v=pLPSQMOFxbA

 カンタータ第61番は6曲からなっています。ドイツ語からの和訳を記します。
 
1.序曲
 いざ 来たりませ 世の 救い主 きよき 神の子
 不思議の みわざ 神は なしたもう

2.レシタティーヴォ
 救い主 来たり われらの 血と 肉を
 おのが 身に とりて 人と なりぬ
 おお 貴き 主 わが 主の われらに
 たまわざりし もの ありや
 主は 来たりて 照らしたもう 恵みの み光を

3.アリア
 主 イェス 来たれ 教会に おお よき 年を たまえ
 み名の 栄えを 増し 主の 教えを ただし わざを きよめたまえ

4.レシタティーヴォ
 見よ われ 外に 立ちて 戸を たたく 
 ひと わが 声を ききて 戸を 開かば
 われ 内に 入りて
 かれと われ 食を 共にせん
 
5.アリア
 開け わが 心 イェス 入りたもう
 塵なる わが 身をも 賤(いや)しめたまわず
 おのが すみかと なしたまわん 主は
 おお このさち いかばかりならん

6.コラール
 アーメン アーメン 
 来ませ 喜びの わが 君 主こそ わが 望み
 
 印象等を記します。
 第1曲序曲(合唱)は、壮麗な堂々とした序曲に、ルターの讃美歌「いざ来ませ、異邦人の救い主よ」がからみます。信仰の王イエスを迎えると同時に1年の始まりを迎えるという二重の意味を持った曲です。
 第2曲テノールのレシタティーヴォ。レシタティーヴォは、言葉が主でありながらも、ここのレシタティーヴォは、音楽的にも内容が濃いと言えます。
 第3曲テノールのアリア。8分の9拍子のゆったりした弦楽合奏が、ただ漠然と流れるのでなく、急に息を潜めたかと思うと、再び優しく流れ出します。
 第4曲バスのレシタティーヴォ。ここで、音楽は急に引き締まり、はっと我に返ります。主が今戸口に現れたかと思えるほどの、リアルな表現です。。
 第5曲ソプラノのアリア。そういう緊張のあとに、切ないばかりの真摯な信仰を歌うソプラノを、チェロが優しく支えます。心が清められるようです。
 第6曲コラール。大変華やかな、心が浮き立つ短いコラールが、主の降誕を待つ喜びをかき立てます。

 この第4曲は黙示録3:20に基づいています。聖書協会共同訳で示します。
「見よ、私は戸口に立って扉を叩いている。もし誰かが、私の声を聞いて扉を開くならば、私は中に入って、その人と共に食事をし、彼もまた私と共に食事をするであろう。」
 この箇所からホルマン・ハントの「世の光」と題された絵画を思い浮かべます。ここではイエス様が手にランタンを持ち、ある家の扉を叩く姿が描かれています。

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 この扉には取っ手が付いていません。「どうやって戸を開けるのか」と尋ねられ、ハントは「ヨハネの黙示録3章20節を描いた絵だ」と答えたそうです。
 イエス様は私たちの心の扉を優しく叩いています。外に立って、扉を開くのを忍耐強く待っておられます。その人が誰であっても「扉を開いたなら中に入る」とイエス様は、すべての人に約束しておられます。これは大きな福音です。そしてこれがクリスマスのメッセージです。神が私たちを救うために人間の肉体をとって(受肉)この世に来られ、私たちの心の扉を叩いておられるのです。イエス様に入っていただき、食事を共にいたしましょう。