オーガスチンとマルコの家

勤務している高崎聖オーガスチン教会や新町聖マルコ教会の情報やキリスト教文化や信仰などの話題を掲載します。

「いつくしみ深き(聖歌482番・讃美歌312番)」に思う

 先日、3月18日に私がチャプレンをしている玉村町のマーガレット幼稚園の卒園式がありました。その中で都澤しづ子園長先生が園長式辞で卒園するバラ組の皆さんへ『「いつくしみ深き」の聖歌を忘れずにいてほしい』と話しておりました。この聖歌(聖歌482番・讃美歌312番)については、7月6日のブログで、曲は小学校の音楽の教科書で「星の世界」として親しまれてきたメロディーであることを記しましたが、歌詞については言及しませんでした。
 今回は日本で一番親しまれている聖歌・讃美歌かもしれない聖歌482・讃美歌312「いつくしみ深き友なるイエスは」について思い巡らしたいと思います。
 この曲は多くの方の愛唱歌で、今年の1月18日に帰天された新町の信徒であった瀧沢よし子姉と夫である進一さんの愛唱歌でもありました。マーガレット幼稚園でも誕生会などで必ず歌っているよく知られている聖歌です。
 慈しみ深い私たちの友であるイエス様は私たちの罪や憂いを取り去ってくださる、私たちの弱いことを知って憐れんでくださる、愛をもって導いてくださるという慰めに満ちた聖歌です。
「いつくしみ深き友なるイエスは」については、大塚野百合の「賛美歌・聖歌ものがたり」に詳しく記されていました。

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 この本の中に、作曲をしたチャールズ・C・コンヴァースについてはこうありました。
『彼はニューヨークのエルミラ・カレッジを卒業してから日曜学校歌集を編纂する仕事に携わっていました。その後、1855年から1859年までドイツのライプツィヒ音楽学校に留学し、そこでフランツ・リストと親しく交わる幸運に恵まれました。アメリカに帰ってから、アルバニー大学で法律を学び、弁護士になりましたが、その傍ら作曲もしていました。1868年にスクライヴィンの"What A Friend We Have in Jesus"の歌に出会い、深く心を動かされ作曲しました。この曲によってこの歌は素晴らしい生命を与えられ、世界中で愛唱されています。』
 では、この歌の作詞をしたジョゼフ・スクライヴィンとはどのような人でしょうか? 彼は1816年にアイルランドで生まれカナダで教師をした人です。彼はどういう経緯でこの歌詞を書いたのでしょうか?
 実はこのスクライヴィンという人、67年の生涯において二人の婚約者がいましたが、二人とも彼と結婚することなく亡くなっています。一人目は結婚式の前日に溺死し、二人目は結核で病死しています。愛する人との離別を二度も経験した彼は、それでも絶望することなく教師として、また奉仕活動家として人々のために尽くし、その人生を終えました。「いつくしみ深き」は1番、2番、3番…と年をあけて作詞されており、そこにはその時その時に彼が遭遇した苦難、そしてそれを神への祈りによって克服し、前へ進んでいった様子が反映されていると言われています。
 聖歌482・讃美歌312「いつくしみ深き友なるイエスは」の歌詞はこうです。

1  いつくしみ深き 友なるイェスは
  罪 科(とが) 憂いを 取り去りたもう
  心の嘆きを 包まず述べて
  などかは下ろさぬ 負える重荷を

2  いつくしみ深き 友なるイェスは
  我らの弱きを 知りて憐れむ
  悩み悲しみに 沈めるときも
  祈りに応えて 慰めたまわん

3  いつくしみ深き 友なるイェスは
  変わらぬ愛もて 導き給う
  世の友のわれ(友われら)を 捨て去るときも
  祈りに応えて いたわりたまわん

 英語の原詩はこうです。

1 What a Friend we have in Jesus,  all our sins and griefs to bear!
   What a privilege to carry  everything to God in prayer!
    O what peace we often forfeit,  O what needless pain we bear,
    All because we do not carry  everything to God in prayer.

2 Have we trials and temptations?  Is there trouble anywhere?
    We should never be discouraged;  take it to the Lord in prayer.
    Can we find a friend so faithful  who will all our sorrows share?
    Jesus knows our every weakness; take it to the Lord in prayer

3 Are we weak and heavy-laden, Cumbered with a load of care?
  Precious Savior, still our refuge— Take it to the Lord in prayer;
  Do thy friends despise, forsake thee? Take it to the Lord in prayer;
  In His arms He'll take and shield thee, Thou wilt find a solace there.

 大塚野百合による直訳はこうです。
1 何という素晴らしい友でしょうか、主イエスが私たちのすべての罪と悩み  を負ってくださるとは!
  何という特権でしょうか、すべてを神に祈ることができるのは!
  しかし、なんとしばしば私たちは平安を受けそこない、無駄に心を痛める  のでしょうか。
  すべてのことを神に告げる祈りをしないからです。

2 試練や誘惑に出会っていますか? 困難がありますか? 
  失望してはいけません。主に祈りなさい。
  こんなに真実な友があるでしょうか? 私たちのすべての悲しみを感じて  くださるという方が?
  主イエスは私たちの弱さを全部ご存知です。主に祈りなさい。

3 重荷に弱り、心労に疲れていますか? 
  貴い主は私たちの逃れ場です。主に祈りなさい。
    友に軽蔑され、捨てられていますか? 主に祈りなさい。
    主はそのみ腕にあなたを抱き、あなたを守ってくださいます。そこにあなたは慰めを見いだすでしょう。
   
   
 冒頭記した都澤園長先生が卒園する園児たちに「この歌を忘れずにいてほしい」と言ったのは、「これからの人生において様々な困難があっても、イエス様が共にいてくださることをずっと覚えていてほしい」という意味だったのだと思います。

 そのことに関係して思い浮かべる聖句があります。詩篇 37:5です。
「あなたの道を主に任せよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」
 
 神様は私たちがすべてを主に委ね、主に信頼することを求めておられます。私たちの進む道は神様がすべて守ってくださり、主がなし遂げてくださるのです。

 瀧沢よし子姉の葬送式の説教で私はこう述べました。
『この曲を作詞したスクライヴィンが苦難を神への祈りによって克服し、前へ進んでいったこと、そしてよし子さん・進一さんご夫婦がこの歌を愛唱していたことに思いを馳せるとき、ことに2節の「祈りに応えて慰め給わん」3節の「祈りに応えていたわり給わん」とあるように、お二人がイエス様に祈り、イエス様はお二人の祈りに応え、そして人生を歩まれたことを想像するのであります。』と。
 祈りはこのように重要で価値あるものなのだとつくづく思います。
 さらに2節の「いつくしみ深き友なるイェスは 我らの弱きを知りて憐れむ」の箇所が心に響きます。直訳では「主イエスは私たちの弱さを全部ご存知です」でした。「全部」というところが神の完全性を示しているように思います。だからこそイエス様にすべてを委ねることができる。神様にまったく信頼し祈り続けていきたいと思うのです。  
  聖歌482・讃美歌312「いつくしみ深き友なるイエスは」は真に慰めに満ちた、信仰者の人生を支える曲であると考えます。