オーガスチンとマルコの家

勤務している高崎聖オーガスチン教会や新町聖マルコ教会の情報やキリスト教文化や信仰などの話題を掲載します。

大斎節第5主日聖餐式 『一粒の麦によって生かされる』

 本日は大斎節第5主日。高崎の教会で聖餐式を捧げました。聖書箇所は、エレミヤ書31:31-34とヨハネによる福音書12:20-33。説教では、一粒の麦に例えたイエス様の生き方について思い巡らし、イエス様によって生かされた私たちが今度は自分を献げる生き方ができるよう語りました。また、映画「一粒の麦 荻野吟子の生涯」を具体例として示しました。

      『一粒の麦によって生かされる』

<説教>
 父と子と聖霊の御名によって。アーメン

 今日は大斎節第五主日です。そして、次の主日は復活前主日・棕櫚の日曜日です。大斎節も終盤になりました。第五主日は、いよいよ十字架の接近を思わせる箇所が福音書として選ばれています。
 今日の福音書箇所はヨハネによる福音書12:20-33です。今日の箇所をまとめれば次のように言うことができると思います。
『年に一度の祭りのためにエルサレムに上って来た人々の中に、異邦人である何人かのギリシア人がいて、「イエス様にお目にかかりたい」と言って来ました。イエス様の答えは、「地に落ちて死」ぬ一粒の麦のようにイエス様が十字架で栄光を受ける時、すべての人を自分のもとに引き寄せる、つまり、異邦人を含むすべての人が「イエス様にお目にかかることができる」ということでした。』

 今日の箇所で、イエス様はご自分の使命を一粒の麦にたとえて語られました。24節です。
「よくよく言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」
 麦が地に落ちて死ねば(朽ちれば)、多くの実を結びます。そのように、イエス様の死も多くの人に命をもたらすというのです。そしてそのことをこう言い換えています。25節です。
「自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至る。」
 これはどういう意味でしょうか? ここに「命」という言葉が3回出てます。ギリシア語では、「命」は2つの言葉があり、最初の2つ「自分の命を愛する者は」と「この世で自分の命を憎む者は」の「命」は、プシュケーという言葉で、本来、「息」を示し、地上の命を表します。それに対して、3つ目の「永遠の命に至る」の「命」は、ゾーエーという言葉で、霊的な、永遠の命を表しています。自分の命(プシュケー)を「愛する」とは、地上の命に固執し、それを自分のために使おうとする生き方です。それに対して「憎む」とは、命を粗末に扱うことではなく、この世で与えられた時間を「永遠の命(ゾーエー)」のために捧げる生き方と言えます。このように、イエス様の十字架にならい自分を捨ててイエス様に仕える者はイエス様の「いる所」にいて、父なる神様も「大切にしてくださる」というのです。

 ところで、イエス様の死の意味を「一粒の麦」にたとえた今日の箇所から思い浮かべた映画があります。それは昨年2月に前橋シネマハウスで見た「一粒の麦 荻野吟子の生涯」です。

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 この映画については以前にも説教で取り上げましたが、今日はその時と別の観点からお話しします。
 主人公の荻野吟子は日本最初の女性医師です。荻野吟子は現在の熊谷市に生まれ、埼玉県の三偉人の一人と言われているそうです。ちなみにその他の二人は、深谷市生まれの大河ドラマで話題の渋沢栄一本庄市生まれの江戸時代の盲人の国文学者、塙保己一はなわ ほきいち)です。「一粒の麦 荻野吟子の生涯」はこのような映画でした。
『明治初頭の男尊女卑の時代、荻野吟子は17歳で結婚して夫から性病を移されました。子供の産めない体になり19歳で離婚しますが、治療のため男性の医者にこの身をさらすことは耐え難い屈辱でした。その時、吟子は「私のような思いをした女性が多いはず。自分が医者となり女性たちを救いたい」という夢を持ちました。そして、吟子は多くの苦難の末、1885年、34歳で医術開業試験に合格し、荻野医院を開業しました。その頃、友人の誘いで教会に通うようになり、医院開業の翌年、本郷教会で海老名弾正から受洗し、廃娼運動に取り組んでいたキリスト教婦人矯風会に参加しました。また、日本初の知的障害者施設である滝乃川学園を創設した石井亮一の友人である牧師の志方之善(しかたゆきよし)とともに孤児の救済事業にも取り組みました。その後、吟子は13歳年下である志方之善と1890年に再婚し、北海道に渡って開業しました。志方之善は北海道でキリスト教の理想郷「インマヌエル村」を作ろうとしますが、志なかばで41歳で亡くなります。之善の死後、吟子はしばらく北海道にいましたが、東京に戻り産婦人科・小児科の医師として献身的に働き、彼女に続く女性医師を励まし、62歳で亡くなりました。』
 このような映画でした。荻野吟子は日本初の女医として、そして夫の志方之善は理想に燃える牧師として生きましたが、その源泉は何だったでしょうか?
 それは、二人が信じた主イエス・キリストにあると言えます。イエス様は、一粒の麦が地に落ちて死ぬように、十字架で死なれました。しかし、それによって、私たちを永遠の命に生きる者とされました。このイエス様の愛を自分のものとして受け取って生きる時に、私たちも一粒の麦としての生き方に招かれます。それが荻野吟子、そして志方之善の生き方でした。つまり、周りの人たちのために自分を献げて生きる生き方であります。 
 私たちも、イエス様という一粒の麦によって生かされた者です。そして、神様は、私たちも周りの人たちの救いのために小さな実を結ぶことを望んでおられます。それが「主に仕え主に従うこと」と言えます。
 
 皆さん、神様は、私たち一人一人が生きてこの地上にあるこの時から、永遠という命(ゾーエー)でつないでいてくださっています。死んで初めて永遠の命に結ばれるのではありません。私たちは今日もう既に、永遠という命に結ばれているのです。
  イエス様はご自分に従うことを求めておられます。そうすれば私たちはイエス様のところにいることができるのです。さらに御父である神様は私たちを大切にしてくださるのです。
 神様は私たちのために、一粒の麦であるイエス様をこの世に遣わし十字架に上げ、それによって私たちに神様とつながる永遠の命を与えてくださいました。イエス様によって生かされた私たちが、今度は周りの人たちのために自分を献げる生き方ができるよう、祈り求めたいと思います。