オーガスチンとマルコの家

勤務している高崎聖オーガスチン教会や新町聖マルコ教会の情報やキリスト教文化や信仰などの話題を掲載します。

「星の王子さまとキリスト教(2)」

 2週間ほど前のブログで「星の王子さまキリスト教」について、特に最も有名な「一番大切なことは目に見えない」の言葉にスポットを当てて記しました。今回はさらに一歩踏み込んで、「星の王子さまはイエス様ではないか」ということを中心に述べてみたいと思います。
 「星の王子さま」には「神」という言葉はなく、「イエス・キリスト」も文言としては出てきません。
 しかし、星の王子さまとイエス様の類似点は多くあります。天(星)からこの地上に降り、愛することの真実を宣べ伝え、天(星)に帰っていきます。そもそも「王子さま」とは「王」の息子であり、イエス様は王の王である神の息子、「子なる神」です。
 童話「星の王子さま」では、聖書のモチーフも、「星」「ヘビ」「りんごの木」「井戸」「水」「砂漠」「ヒツジ」というふうにいくつも見つけることができます。
 このあたりのことについては、私が神学生だった時、礼拝堂の金曜の聖餐式に参列されていた立教女学院名誉教授の高橋洋代先生からいただいたご本人の著書「『星の王子さま』からのクリスマス・メッセージ」にも記されていました。

f:id:markoji:20210209235626j:plain

 この本の中にこうあります。「『星の王子さま』はサン=テグジュペリが、クリスマス用の童話の依頼を受けて書いた本である。(P.92)」と。まさに「星の王子さま」にはクリスマス・メッセージが込められていると考えます。
 高橋洋代先生のこの本にも「重要な役割を果たしているのが星である。(中略)人は救い主イエス・キリストの誕生を星によって知り、その星の導きによって幼な子イエスに出会うのである。(P.93~94)」とあります。
 クリスマスは、神様が私たち人類を愛するがゆえにその独り子、王子さまをこの世に送ってくださった出来事です。ヨハネの手紙一4:10にこうあります。
「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めの献げ物として御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」
 これは、神様が、御子イエス・キリストをこの地上に遣わし、私たちのすべての罪をイエス様に負わせ、身代わりとして罰せられたことを意味しています。
 この本に気になる文章がありました。それはこうでした。
『涙の国のところにある、多くの邦訳が「ふしぎな」と訳している原語は、mystèreの形容詞mystèreieuxであり、mystèreには、不思議のほかに、神秘、謎、秘密、キリスト教の奥義、などの意味がある(P.112)』と。フランス語のmystèreは英語のmystery・sacramentであり、ラテン語ではサクラメントゥム、私たちが「聖奠」と訳している言葉です。星の王子さまは、イエス様のように神様の聖奠(サクラメント)としてこの地上に派遣されたと考えます。

    高橋先生の本は特にクリスマス、イエス様の誕生と「星の王子さま」との類似点について記していますが、イエス様の十字架や復活と「星の王子さま」の類似点に記してあるのが、次の本『「星の王子さま」と永遠の喜び』です。

f:id:markoji:20210209235751j:plain

 著者は前回のこのテーマで紹介した『「星の王子さま」と聖書』を記したプロット神父です。この本の『第4部 永遠の喜びを目指して』の『星の王子さまの「帰り」』の中にこうあります。
『王子さまの地上での滞在期間が終わりました。王子さまがヘビにかまれて死ぬということですが、サン=テグジュペリはここで「死ぬ」という言葉を使わず「うちに帰る」と言っています。(P.176)』。
 そして、王子さまとイエス様の共通点に関してこう記しています。
『彼(イエス)が死を迎えることになった時、自分の仲間である弟子達に「父のもとへ行く」と言いました。神である父の人類に対する心を伝えるために遣わされたイエスは、その「使命」を果たしてから、また父のもとに戻るのです。(P.178)』
 星の王子さまもイエス様も、「亡くなる」のでなく、もといた家や父のもとへ帰るのです。それは私たちも同じです。逝去のことを「帰天」と言う所以です。
 プロット神父は、さらに、「うちに帰った」王子さまの体について何も言っていないこととイエス様の死体も墓にはなかった(空の墓)について言及しています。私は、これこそ王子さま及びイエス様の復活の出来事だったと考えます。
  ヨハネによる福音書4章2~3節にこうあります。
『私の父の家には住まいがたくさんある。もしなければ、私はそう言っておいたであろう。あなたがたのために場所を用意しに行くのだ。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたを私のもとに迎える。こうして、私のいる所に、あなたがたもいることになる。』
  このような聖句を読みますと、私たちの故郷は生まれる前にいた父の家にあり、そこにイエス様が導いて下さることが分かります。
『「星の王子さま」と永遠の喜び』にこうあります。
『死ぬことが「父のもとへ行く」ことだとすれば、死は辛くて、暗いイメージを失います。それだけではなく、死が父への道であれば喜びを持って死を迎えることさえできるのです。(P.178~179)』
  「星の王子さま」とイエス様の共通項はたくさんありますが、そのことで終わるのでなく、二人とも人生の最大の問題である「死」について希望を与えていると言えます。それは故郷である天の「うちに帰ること」であり、「父のもとへ行くこと」なのです。それこそ「永遠の喜び」です。童話「星の王子さま」はそのことを私たちに伝えるために記された、現代の福音書なのだと私は考えます。