『なかにし礼~「愛のさざなみ」に思う~ 』
前々回のブログで浜口庫之助作詞・作曲の「バラが咲いた」の基となった「星の王子さま」について述べましたが、ハマクラ作品として世俗の中で聖なるものを感じさせるものとしては、なかにし礼作詞・浜口庫之助作曲で島倉千代子が歌った「愛のさざなみ」を挙げることができると思います。
「愛のさざなみ」はポップス調で、離婚や金銭問題等で悩みヒット曲にも恵まれず停滞していたと思われる島倉千代子の新たな復活の道を示した作品でもあります。1968年のレコード大賞特別賞を受賞しました。
このyoutubeで聞く(見る)ことができます。
https://www.youtube.com/watch?v=PV2jTR8KJJ8
歌詞はこうです。
1 この世に神様が 本当にいるなら
あなたに抱かれて 私は死にたい
ああ 湖に 小舟がただひとつ
やさしく やさしく くちづけしてね
くり返す くり返す さざ波のように
2 あなたが私を きらいになったら
静かに静かに いなくなってほしい
ああ 湖に 小舟がただひとつ
別れを思うと 涙があふれる
くり返す くり返す さざ波のように
3 どんなに遠くに 離れていたって
あなたのふるさとは 私ひとりなの
ああ 湖に 小舟がただひとつ
いつでも いつでも 思い出してね
くり返す くり返す さざ波のように
さざ波のように
この歌詞の湖は、私にはガリラヤ湖のように思われます。2年半前に訪れたガリラヤ湖のこんな風景を思い浮かべます。
既に記しましたように、この曲を作曲した浜口庫之助は青山学院出身のクリスチャンです。作詞したなかにし礼はクリスチャンではありませんが、立教大学仏文科卒で、キリスト教に親しんでいたと考えられます。なかにし礼は昨年12月に心臓病(心筋梗塞)で逝去しましたが、がんに冒されその闘病記で「般若心経」と旧約聖書、ことに「伝道の書」に親しんでいたことが記されていました。2016年に刊行された『闘う力 再発がんに克つ』(講談社)です。
この本で、なかにし礼が引用していたのが「伝道の書(コヘレトの言葉)」の1:2-5です。
『空の空 空の空、一切は空である。
太陽の下、なされるあらゆる労苦は 人に何の益をもたらすのか。
一代が過ぎ、また一代が興る。 地はとこしえに変わらない。
日は昇り、日は沈む。 元の所に急ぎゆき、再び昇る。』
なかにし礼は、「死について語っているから耳を傾けるに価する」と記しています。死に直面している現実からこれらの言葉が心に響いたのだと考えられます。
「コヘレト(伝道者)の言葉」の1:1には「ダビデの子、エルサレムの王、コヘレトの言葉。」とありますように、これらの言葉はダビデの子、ソロモンの言葉だと考えられます。栄華を誇ったエルサレムにいた王様も「空しさ」、心に満たされないものを感じていたのだと思います。
「愛のさざなみ」の歌詞に戻りますと、1節の冒頭に「この世に神様が 本当にいるなら」とあります。仮定法を使っていますが、神の存在を肯定しているように感じます。
「ああ 湖に 小舟がただひとつ」「くり返す くり返す さざ波のように 」の言葉から、私は、マルコ福音書6:45-52の、ガリラヤ湖上の舟の弟子たちに湖の上を歩いて近づくイエス様の姿を思い浮かべます。51・52節はこうです。
『皆はイエスを見ておびえたのである。しかし、イエスはすぐに彼らと話をし、「安心しなさい。私だ。恐れることはない」と言われた。イエスが舟に乗り込まれると、風は静まった。弟子たちは心の中で非常に驚いた。』
舟にイエス様が乗り込むと風は静まりました。イエス様は私たちの方に近づいてくださり、「安心しなさい。私がここにいる。恐れることはない」と声をかけ、共にいてくださり、それにより平安が得られるのです。
「愛のさざなみ」の3節の後半に「ああ 湖に小舟がただひとつ いつでも いつでも思い出してね くり返すくり返す さざ波のように」とあります。 湖とは私達のこの世界、小舟は私達の生活です。イエス様がこの世界に来て、生活を共にしてくださるのですから、ソロモンが感じた「空しさ」はもはやなく、心は満たされます。それこそ、イエス様が私たちに示された「愛のさざなみ」であると考えます。