オーガスチンとマルコの家

勤務している高崎聖オーガスチン教会や新町聖マルコ教会の情報やキリスト教文化や信仰などの話題を掲載します。

聖霊降臨後第12主日 聖餐式『神が与えた信仰に生きる』

f:id:markoji:20200823170510j:plain

新町聖マルコ教会聖堂の祭壇(Altar)



 今日は聖霊降臨後第12主日。午前高崎、午後新町で聖餐式を捧げました。
聖書個所は、ローマの信徒への手紙11:33-36とマタイによる福音書16:13-20。説教では、「ペトロの信仰告白」の箇所の前半を中心に、当日の使徒書の箇所にも触れ、すべてのことが神の力によって導かれ、信仰も神から与えられた恵みであることを語りました。IHSのシンボルのことについても、信仰告白とからめ言及しました。

『神が与えた信仰に生きる』  <説教>
 父と子と聖霊の御名によって。アーメン

 今日の福音書はマタイによる福音書16:13-20、先週の「カナンの女の信仰」の話(15:21-28)から少し飛んで、いわゆる「ペトロの信仰告白」の箇所です。
 今日の箇所について、特に前半を中心に振り返ってみましょう。
 場所は「フィリポ・カイサリア地方」です。「フィリポ・カイサリア」はガリラヤ湖から北へ約40キロメートルの場所です。聖堂受付に置いておきましたB5版の「新約時代のパレスチナ」の地図をご覧下さい。

f:id:markoji:20200823165940j:plain

 先週の福音書の箇所のシドンとティルスに丸印がついていますが、今週の箇所のフィリポ・カイサリアにはマーカーをつけました。「カイサリア」は「ローマ皇帝(カエサル)の町」を意味しますが、地中海沿岸の町カイサリアと区別するために「フィリポ・カイサリア」と呼ばれていました。フィリポはヘロデ大王の息子からとられています。ここには異教の神々の神殿がありました。そういう異教徒たちの住む偶像礼拝の地方で、イエス様は「世間の人々は私のことを誰だと言っているのか」と問われたのです。弟子たちは口々に、「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」と答えました。洗礼者ヨハネもエリヤもエレミヤも偉大な預言者ですが、人間であることには変わりません。人々はイエス様もそのような存在と考えていたと思われます。そこでイエス様は、今度は弟子たちに向かってお聞きになりました。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」と。
 すると、ペトロが、真っ先に口を開いて答えました。「あなたはメシア、生ける神の子です」と。「メシア」は、ギリシア語原文では「クリストス(=キリスト)」です。本来の意味は「油注がれた者」でしたが、新約聖書では神が決定的に遣わされる救い主を意味するようになりました。そしてそこには、「生ける神の子です」がつけ加えられています。今生きて働き、恵みの御業を行っておられる、その生ける神が遣わされたあなたこそメシア(救い主)であると、ペトロは公に表明したのでした。
 そのペトロの信仰告白に対するイエス様の答えは、「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。」ということでした。「バルヨナ」はアラム語で「ヨナの子」の意味です。シモンはペトロの実名です。「ヨナの子シモンよ」とイエス様は信仰告白をしたペトロに、親の名や実名を使い親しく語りかけ「あなたは幸いだ。」とおっしゃたのです。そして「あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ」と言われました。ペトロのこの信仰告白は、人間が考えてできることではありません。それは神様が与えて下さるものなのです。その信仰を神から与えられて、それを告白することができる者は本当に幸いだ、とイエス様は言っておられるのです。
 さらにイエス様はおっしゃいます。「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。」と。イエス様は、「あなたはペトロ」と言われました。「ペトロ」というのは、イエス様がつけたあだ名でして、アラム語の「ケファ」(「岩」の意味)をギリシア語に訳したものです。続いて、「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」と、イエス様はおっしゃいます。ペトロのように、「イエス様はメシアである」と告白する人々の上に、わたしの教会を建てると言われたのであります。そして、イエス様を救い主と信仰告白する教会は陰府の力にも勝ると言っています。陰府とは死者がとどまるところです。死者の領域にも神の愛、神の支配は届くのです。
 この後は簡単にします。イエス様はペトロに「天国の鍵を授ける」と話し、、そして「自分がメシアであることを誰にも話さないように」と弟子たちに命じられました。

 本日の箇所では、ペトロがイエス様を「あなたはメシア、生ける神の子です」と信仰を言い表しました。そのことで思い浮かぶシンボルがあります。それは、高崎の聖卓の真ん中にも彫刻されているアルファベットのIHSです。

f:id:markoji:20200823170100j:plain

   また、IHSは新町の祭壇の聖櫃(タバナクル)にも彫刻されています。

 IHSは祭服の準備で、以前はこのローマ字をチャジブルの上にストールや紐などでシンボライズしていました。今はIにあたるマニプル(手甲のようなもの)を使いませんで、IHSでなくこの高崎の聖卓の左右にもあるΑ(アルファ)やΩ(オメガ)でシンボライズしています。IHSは語源はギリシャ語 Iēsoûsの最初の3文字(イオタ・エータ・シグマ)からイエス様のことを表していますが、ラテン語でIesus Hominum Salvator(救いの人イエス)の略称とも言われています。後者と取れば、「イエス様は救いの人(メシア)である」という信仰告白の象徴とも考えられます。まさに本日のペトロの信仰告白の言葉とも共通するものであります。

 本日の箇所を通して、イエス様が私たちに伝えていること、そして、求めておられることは何でしょうか?
 それには先ほど読んでいただいた本日の使徒書、ローマの信徒への手紙11:33-36が関係していると考えます。33節にこうあります。
『ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し尽くせよう。』
 36節はこうです。
『すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。栄光が神に永遠にありますように、アーメン。』
 ここでは、使徒パウロが「神の富と知恵と知識」の深さに対する、また、神の定め(決定)と神の道の究めがたさに対する驚嘆を述べています。そして、すべての原因であり(神から出て)、すべてを造り(神によって保たれ)、すべてをそこへと導く(神に向かって)神の絶対的な支配を高らかに謳い上げています。そして神の偉大さを賛美し、その栄光が永遠に続くよう祈っています。
 私たちは自分の力で富を得、知恵を持ち生き方を決定しているように思いがちですが、実は、すべてのことは神の力によって生まれ、保たれ導かれているのであります。

 今日の福音書でペトロは「あなたはメシア、生ける神の子です」と信仰告白をして、イエス様は「あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。」とおっしゃっています。
 私たちは信仰を自分が求め得たと考えがちですが、実はそれも天の父なる神様から与えられたものなのであります。
 今日の箇所でイエス様が私たちに伝えていること、それは、すべてのことは神の力によって生まれ導かれており、イエス様を「生ける神の子キリスト」と告白する信仰も神様から与えられ、そう告白する人々の上にイエス様が教会を建てたということではないでしょうか?
 そして、私たちに求めておられることは「天にいる私の父があなたに現した」というイエス様の言葉を心に留め、神様から与えられた信仰に生きることではないでしょうか?
 
 皆さん、私たちの富も知恵も生き方も、すべてのことは神の力によって生まれ、保たれ導かれています。イエス様を「生ける神の子キリスト」と告白する信仰も神様から与えられたのです。まさに、信仰は神の恵みであります。
 また、教会はイエス様によって「主イエスをメシア、生ける神の子と信じる信仰」の上に建てられました。イエス様はそこに天の国の鍵も授けられました。私たちは御言葉に寄り頼むことに心がけ、絶えることのない助けによって主の教会を清め守ってくださるよう、そして神様から与えられた信仰に生きることができるよう、神の恵みを祈り求めて参りたいと思います。