オーガスチンとマルコの家

勤務している高崎聖オーガスチン教会や新町聖マルコ教会の情報やキリスト教文化や信仰などの話題を掲載します。

「T. S. エリオットの詩と信仰(2)」

 前回、T. S. エリオットの詩、主に「聖灰水曜日(灰の水曜日)」と彼の信仰について思い巡らしました。この作品は英国国教会に転会した3年後の作品で、信仰の道を歩む決意を感じさせる宗教詩であると結論づけました。今回は、彼の詩集「キャッツ - ポッサムおじさんの猫とつき合う法」(The Old Possum's Book of Practical Cats)を取り上げたいと思います。この猫詩集は、エリオットが自分の勤める出版社の社員の子供たちのために書いたもので、1939年、彼が51歳との時に出版されました。
 私が読んだのは1995年に池田雅之訳で出版された「ちくま文庫」版です。

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 詩集「ポッサムおじさんの猫とつき合う法」 は世界中でロングランを続けるミュージカル「キャッツ」の原作です。この詩はエドワード・リアへの関心から書かれたノンセンス詩で、エリオット没後にミュージカル『キャッツ』に翻案されて人気を博することになりました。
 ポッサムはオポッサムのことで、死んだ振りをすることから「臆病者」という意味があります。エリオットはエズラ・パウンドの詩に“Possum”という渾名で登場することが多く、ポッサムおじさんとは自身の渾名にちなんだタイトルです。
 この猫詩集『キャッツ』は15篇の詩から成っています。特に目をひくのが、登場する猫たちの一風変わった名前、例えば「あまのじゃく猫ラム・タム・タガー」「猫の魔術師ミストフェリーズ」「鉄道猫スキンブルシャンクス」などです。偉大なるノンセンス詩人・エリオットでなければ、考えもつかない名前ばかりです。これらの名前へのこだわりからエリオットがいかに猫を愛していたかが伝わってきます。私が注目したのは「長老猫デュートロノミー」です。長生きの長老猫で、9人の女房の死を看取ったとも、99人の女房の死を看取ったとも記されています。名前は旧約聖書申命記(Book of Deuteronomy)から取られており、この書はモーセの説教と律法から成っていると考えられてきました。「長老猫デュートロノミー」は牧師館の石塀に座って日向ぼっこをしている様子がこの詩に描かれています。まるで、主の庭に休らうことが真の安らぎであるかのようです。エリオットは自身の信仰観を反映させ「長老猫デュートロノミー」を登場させたと考えます。
 ただ、この詩集を日本語で読んでみると、翻訳の限界かナンセンス詩の言い回しや言葉遊び等が、なかなか分かりづらく、語られている内容も当時の英国社会を反映しているので、その背景を知らないと理解に苦しむところがあります。

 この詩集から生まれたミュージカル「キャッツ」も、テーマが分かりづらいと感じている人が多いのではないでしょうか? 私もかつて劇団四季のキャッツシアターで浅利慶太演出の日本版「キャッツ」を見て、歌や踊りを楽しんだ記憶はありますが、何が言いたかったのかはぴんときませんでした。しかし、今回、最近映画化された「キャッツ」を見て、少し分かったように思います。コロナの影響で映画館に行けなかったので、DVDで見ました。

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 劇団四季の「キャッツ」のホームページにミュージカル「キャッツ」が完成するまでの経緯等が記されていました。それによりますと、1972年に、ロンドン生まれの作曲家アンドリュー・ロイド=ウェバーがアメリカへと向かう途中、空港の売店でエリオットの詩集『Old Possum's Book of Practical Cats(ポッサムおじさんの猫とつき合う法)』(通称『キャッツ』)を何気なく手に取ったことが端緒だったようです。彼は子供の頃から慣れ親しんでいだこの詩集を改めて読み返し、猫たちが飛び跳ねて踊るような躍動感溢れるこの作品に、たちまち魅了されたのでした。
 この猫詩集『キャッツ』は15篇の詩から成っていますが、ロイド=ウェバーは最後の「門番猫モーガン氏の自己紹介」を除いて、14篇の詩のすべてをミュージカルの中で忠実に再現しました。そのため、このミュージカルは、まず詩に曲がつき、最後にストーリーとテーマがつけられるという変則的な手順で作られることになったそうです。

 原作の猫たちを一匹一匹見ていくと、あることに気付きました。それはミュージカル『キャッツ』の代名詞ともいえるナンバー『メモリー』を歌う「娼婦猫グリザベラ」が、原作には存在していないことでした。『メモリー』という歌も、原作にはありません。では、「グリザベラ」はどこから来たのでしょうか? それはヴァレリー夫人がロイド=ウェバーに持ってきたエリオットの未発表の「娼婦猫グリザベラ」というタイトルの付いた、7・8行ほどの未完の詩からとのことでした。
 ミュージカル『キャッツ』では、「グリザベラ」は「長老猫デュートロノミー」によって、一年に一度天に昇り永遠の生命を得る猫に選ばれました。しかし、選ばれた理由については明確に示されていません。「長老猫デュートロノミー」が歌う「幸福の姿」(原題は『幸福の瞬間The Moments of Happiness』)を境に、「グリザベラ」は徐々に生まれ変わっていきます。

 暗い過去を背負い、救済を願うこの猫には、私は“罪深い女”マグダラのマリアを思い浮かべます。このことについて少し思い巡らします。
 ルカによる福音書7章 37-38節にこうあります。
『この町に一人の罪深い女がいた。イエスファリサイ派の人の家で食事の席に着いておられるのを知り、香油の入った石膏の壺を持って来て、背後に立ち、イエスの足元で泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛で拭い、その足に接吻して香油を塗った。』
 イエス様はこの女性のされるままになされました。
 この女性はヨハネ8章の姦淫の女とも重なります。イエス様はこの女性に解放と新生をもたらしたのでした。
 そして、復活のイエス様に最初に出会ったのがマグダラのマリアでした。ヨハネによる福音書20章16節に感動的なシーンが記されています。
『イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。』
 また、私は長血を患っていた女性のことも思い浮かべます。ルカによる福音書8章 44節はこうです。
『この女が後ろから近寄って、イエスの衣の裾に触れると、たちまち出血が止まった。』
 この女性はイエス様に触れることによって癒やされたのです。

「触れる(touch)」ということでは、『キャッツ』で一番有名な歌『メモリー』の中に印象的な歌詞があります。最後の節です。

 Touch me!
 It''s so easy to leave me
 All alone with my memory
 Of my days in the sun
 If you touch me,
 you''ll understand what happiness is
 Look, a new day has begun.

 私に触れて!
 私を見捨てるのは簡単なこと
 私は独りきり
 日の光の中にいた日々の思い出とともに
 私に触れてくれるなら
 幸せとは何か、わかるはず
 見て、新しい1日がはじまる

  この節から、「主イエス様に触れていただくことで、本当の幸せを実感し、新しい人生が始まる」と私は解釈しました。言い換えれば、「神とつながることにより救われ新たに生まれることができる」と言っているように思います。

 ミュージカル『キャッツ』はT.S.エリオットの原詩を忠実に用いながら、救済と新生というテーマを扱っているように思われます。猫たちに託した人間の救いと新たに生まれることの物語といえるのではないでしょうか。その基にはエリオットの宗教性、ことに「贖いと救い」を求める信仰があったと考えます。

 ミュージカル『キャッツ』では「娼婦猫グリザベラ」は他の20数匹の誇り高く生きるジェリクル・キャッツと私たち観客の祈りの力によって支えられて天上に昇ります。それは、「グリザベラ」だけでなく他の猫も、そして私たちも、主イエス様によって救われ新たに生まれることができることを示しているように思うのです。