オーガスチンとマルコの家

勤務している高崎聖オーガスチン教会や新町聖マルコ教会の情報やキリスト教文化や信仰などの話題を掲載します。

ハレルヤ・コーラスとヘンデルの信仰

 前々回のブログでヘンデルのオラトリオ「メサイア」について記しましたが、この曲で一番有名なのが第2部「メサイアの受難と復活」の最後で演奏される「ハレルヤ・コーラス」です。私もこれまでの人生で何度も触れて来ましたが、最近聞いた(見た?)ものでは、「新島学園フィルハーモニーオーケストラプロジェクト」の今年のクリスマス礼拝におけるハレルヤ・コーラスが素晴らしかったです。高崎の教会には新島学園の関係者(現役・元の先生や卒業生等)が多くいます。以下のアドレスでこの「ハレルヤ・コーラス」が鑑賞できますので、ぜひご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=TFuUzVs81l0

 次に、「ハレルヤ・コーラス」の歌詞と対訳を記します。

Hallelujah,
For the Lord God Omnipotent reigneth,
Hallelujah!
(Revelation XIX 6)

The Kingdom of this world is become
the Kingdom of our Lord and of His Christ,
and He shall reign for ever and ever,
Hallelujah!
(Revelation XI 15)

King of Kings, and Lord of Lords,
(Revelation XIX 16)
and He shall reign for ever and ever,
Hallelujah!
 
ハレルヤ、
全能であり、私たちの神である主(が王座につかれた)
ハレルヤ!
ヨハネの黙示録 第19章6節)

この世の国は、
我らの主と、そのメシアのものとなった。
主は世々限りなく統治される。
ハレルヤ!
ヨハネの黙示録 第11章15節)

「王の王、主の主」
ヨハネの黙示録 第19章16節)
主は世々限りなく統治される
ハレルヤ!
 
 先日、高崎の教会の近所の若い男性が「聖堂の中を見せてほしい」と訪ねてこられました。聖堂前のイルミネーションがきれいだったので「中はどうなっているか」と思ってのこととのことでした。話の中で「中学校の時の合唱コンクールハレルヤ・コーラスを歌った経験がある」という話題がありました。歌詞や「ハレルヤ」の意味を伺うと「分からない」とのことでした。公立の学校ではそれらに触れないのかもしれません。
 「ハレルヤ」は、ヘブライ語でハ―ラル(賛美する)の二人称複数命令形の「ハラルー」と、神の名「ヤー(主)」からなり、「あなた方は主を褒め讃えよ」という意味です。これは、歓喜と感謝に満ちた主(神)を褒め讃える言葉です。
 黙示録19章6節に、『また私は、大群衆の声、大水のとどろき、激しい雷のようなものが、こう言うのを聞いた。「ハレルヤ 全能者である神、主が王となられた」』(聖書協会共同訳)とあるのは、天におけるハレルヤ・コーラス歓喜の大合唱のことです。

  「ハレルヤ・コーラス」の時に観客が立ち上がるのをご存知ですか?  それは「メサイア」のロンドン初演(1743年)のとき、あまりの素晴らしさに国王ジョージ2世をはじめとする観客が思わず立ち上がったことから、現在でも「ハレルヤ」コーラスの演奏時には観客が立ち上がる習慣があるのでした。立教のメサイア演奏会でもその時には客席の皆さんが起立していました。しかし、群大のメサイアでは誰も立ち上がらず、私だけが起立して恥ずかしい思いをした記憶があります。

 メサイアの初演に関しては、以下のことが伝えられています。
 ヘンデルは1740年頃、ロンドンの聴衆にすっかりそっぽを向かれ落胆し、英国を離れて故国ドイツへ帰ることを考えていました。彼の逆境をみかねた友人チャールズ・ジェネンズは、聖書を題材にした自作の台本「メサイア」への作曲を勧めました。ヘンデルは最初心が動きませんでしが、丁度その時―1741年8月―、アイルランド、ダブリンからオラトリオの慈善演奏会の要請が届きました。その依頼内容は、ヘンデルにダブリンへ来て自作を何回か演奏してくれるようにという公式招請状でした。
 ヘンデルはかねてから孤児院のための慈善演奏会などに熱心でした。丁度その時、ロンドンの新聞で既に次のことを知っていました。それは飢饉にあえぐアイルランド一般庶民が借金の返済ができず囚人となり、フォーコーツ監獄で悲惨な生活を強いられ、死者まで出たという、大々的に報じられた記事でした。ヘンデルはこのアイルランドの惨状に関心をもったところへ、丁寧なアイルランドからの招請状を受けたのでした。これにたいへん心が動き、すぐに承諾の返事を出しまた。そしてダブリンでの演奏会の準備に入ったのでした。「メサイア」はダブリンで1742年4月13日に初演され、ダブリンの聴衆は熱狂をもって迎えたそうです。
 この辺りのことは「大作曲家の信仰と音楽」のヘンデルの項目にも詳しく記されています。

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 この本の中にこうあります。
ヘンデル自身<メサイア>は30回以上指揮している。その多くは、彼が主な後援者となっている孤児院のための慈善演奏会であった。この作品は、聴く者の人生に信仰面で計り知れないほどの影響を与えてきた。ある作家はこう述べている。<メサイアの音楽とメッセージは、おそらくこれまで著されたどの神学書と比べても、数え切れないほどの人々に、神が私たちのそばにおられると確認させる大きな働きをしてきた>。ヘンデルは信心深くキリストに従う者であり、教会でしばしば見られたのは、ひざまずき、表情と身振りを通してこの上なく真剣に祈る姿であった。」

 今なお世界中で愛される作品を生み出した背景には、仕事をするに当たり神様に委ねつつ保ち続けたヘンデルの信仰心があったからであり、「メサイア」は神様からヘンデルに、そして私たちに与えられた大きな「賜物(ギフト)」であったと思うのであります。