オーガスチンとマルコの家

勤務している高崎聖オーガスチン教会や新町聖マルコ教会の情報やキリスト教文化や信仰などの話題を掲載します。

聖霊降臨後第21主日 『神と隣人を愛する秘訣』

 本日は聖霊降臨後第21主日。午前は高崎、午後は新町の教会で聖餐式を捧げました。聖書箇所は、出エジプト記22:20-26とマタイによる福音書22:34-46。説教では、福音書の前半の箇所にスポットを当て、テーマを導きました。また、当日の旧約聖書出エジプト記22章等から神の属性を示しました。テーマとの関連から、朝ドラ「エール」で薬師丸ひろ子演じる関内光子が歌った讃美歌「うるわしの白百合」にも言及しました。

   『神と隣人を愛する秘訣』

 <説教>
父と子と聖霊の御名によって。アーメン

 今日の福音書の箇所はマタイによる福音書22章34-46節です。イエス様とファリサイ派の人々との2つの論争が取り上げられています。前半は最も重要な掟について、後半はダビデの子についての論争です。今回は前半について考え、特に、「イエス様のおっしゃる最も重要な掟とは何か」、「その掟はどうすれば実行できるか」ということについて思い巡らしたいと思います。

 今日の福音書箇所の前半は次のような内容です。最初にこうあります。
ファリサイ派の人々は、イエスサドカイ派の人々を言い込められたと聞いて、一緒に集まった。そのうちの一人、律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。」
 ファリサイ派サドカイ派も当時のユダヤ教の指導者ですが、ファリサイ派は、「ユダヤ教の律法を厳格に解釈し、それに全力で忠実であろうとした人々」で、サドカイ派は「祭司の家系に連なる裕福な上流階級で、エルサレムの神殿を中心に活動していた人々」です。祭司階級であるサドカイ派がイエス様に言いくるめられたと聞いて、律法を守ることに忠実なファリサイ派が集まり、その中の律法の専門家がイエス様に論争を仕掛けようとし、こう尋ねました。
「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」
 これはイエス様を陥れるための質問です。当時613という多くの戒め(律法)があったと言われています。もしイエス様が、ある一つの律法を重要視したら、彼らは「イエスは他の律法をないがしろにしている」と非難しようとしていたと考えられます。それに対するイエス様の返答はこうでした。37節から40節です。
「イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」
 この「愛しなさい」のギリシャ語は「アガパオー」の二人称・単数・未来形でした。「アガパオー」には「愛する」のほか「尊重する・慕う」、「行為によって愛を実証する」などの意味があります。この箇所は「愛しなさい」という命令ではなく「あなたは愛するだろう」と言っているのです。英語の聖書(NRSV)でも、「You shall love~」とありました。
 また、「律法全体と預言者」というのは、一つの慣用句で「聖書全体」を表す慣用句です。聖書全体が「神を愛し隣人を愛する」という掟に基づいているというのです。
 イエス様は、「神を愛し隣人を愛する」という掟が重要であるとおっしゃいました。どんな細かい掟を守っても「神への愛と隣人への愛」というところに立脚しないなら、律法を守ること自体が崩れてしまいます。律法の中に重要度のようなものはなく、聖書すべてが「神を愛し隣人を愛する」という目的のために書かれているというのです。
 
 今日の福音書で「イエス様のおっしゃる最も重要な掟」とは何でしょうか? いうまでもなく、「神を愛し隣人を愛する」という掟です。この2つの掟に順番はありません。2つの掟は「同じように重要である」とイエス様はおっしゃっています。神を愛することと、隣人を愛することは別のことではなく、1つのことなのです。今日の旧約聖書出エジプト記22章でも、隣人、特に寄留者や寡婦や孤児等の弱者への愛の行動が命じられています。隣人とは自分の身近な人、家族や近所の方、同僚や友人、関わるすべての人たちです。そして、私たちが彼らに愛の行動を行うのは「私は憐れみ深いからである」という神様の属性に基づいています。私たちが神を愛し隣人を愛することができるのは、まず最初に神様が私たちを愛してくださっているからです。だから「あなたは愛するだろう」とイエス様はおっしゃるのです。つまり、神様の愛が、その掟を実行できる源泉なのであります。

 では、「神を愛し隣人を愛する」という掟はどうすれば実行できるでしょうか?  それには、本日の礼拝の入堂で歌った聖歌489番が参考になると考えます。本日の福音書の言葉がそのまま最初の歌詞になっています。2節に、「神の愛受けて 隣人愛せ」とあるように、ます神の愛を受けることが先にあり、その後隣人を愛するよう促されています。そして、4節で私たちのなすべきことが示されています。それは「神をあおぎみて 人と出会う」ことです。また、それは「神を愛し隣人を愛する」ことです。その時に「十字の真中の主イエスがおられる」のです。歌の最後は、十字架のイエス様が私たちの真ん中におられることで終わっています。まるで祈りの最後の言葉、例えば「主イエス様によってお祈りいたします」のようです。ここに「神を愛し隣人を愛する」という掟を実行する秘訣があるように思います。つまり、祈りによってそれは実行できるということです。

 ところで、NHK朝の連続テレビ小説「エール」で、先々週、薬師丸ひろ子演じる関内光子が、空襲で家を焼かれ多くのものを失い、讃美歌「うるわしの白百合」を歌うシーンが話題になりました。

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 聖歌・讃美歌は「歌による祈り」であり、喜びの時だけでなく、苦難の時、悲しみの時にもそれは用いられます。歌詞の意味を踏まえ心を込めて聖歌・賛美歌を歌うことは、神と人を愛する行為でもあります。「うるわしの白百合」を歌い終わった光子が、ゆっくりと、優しく十字架をその手に包む美しい場面がありました。それは、まさに「祈り」に他ならないのでした。

 皆さん、イエス様は「神と隣人を愛する」ということが最も重要な掟であるとおっしゃっています。そして、私たちがそうできるのは神様が先に私たちを愛してくださっているからであり、そうできる秘訣は心を込めた「祈り」にあります。その神様に感謝し、隣り人の僕となれるよう、主の導きを祈り求めて参りたいと思います。