オーガスチンとマルコの家

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聖霊降臨後第20主日 『神のものを神に返す生き方』

    本日は聖霊降臨後第20主日。高崎の教会で聖餐式を捧げました。聖書箇所は、イザヤ書45:1-7とマタイによる福音書22:15-22。説教では、福音書の「皇帝への税金」について、イエス様の「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」の言葉にスポットを当てて思い巡らしました。また、当日の旧約聖書イザヤ書45章等からテーマを導きました。そして、テーマとの関連からテレビドラマ「半沢直樹」のセリフにも言及しました。

    『神のものを神に返す生き方』

<説教>
 父と子と聖霊の御名によって。アーメン

 今日の福音書の箇所はマタイによる福音書第22章15節から22節です。
 これまで、イエス様は「祭司長や民の長老たち」、つまりユダヤ人の宗教的指導者たちを、悪い農夫や婚宴への招待をないがしろにする客にたとえて話しました。今日の箇所では、そのことに憤慨したファリサイ派の人々が、「皇帝に税金を納めるのは律法に適っているか、適っていないか」という質問をしてイエス様を陥れようにしました。それは自らを神格化するローマ皇帝への納税を肯定すれば、神を裏切りイエス様を信頼する人々を失望させることになり、否定すれば皇帝への反逆者として告発されるという巧妙なものでした。イエス様は納税用のローマのデナリオン銀貨を取り上げ、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」と答えました。ファリサイ派の人々はその答えに驚き、立ち去ったのでした。
 今日はファリサイ派の人々にイエス様がおっしゃた「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」という言葉にスポットをあてて考えたいと思います。この言葉はかつての口語訳では「カイゼルのものはカイゼルに、神のものは神に返しなさい」であり、文語訳も同様に「カイゼル」というドイツ語を使っていましたので、こちらの方が馴染みのある方も多いかもしれません。この「皇帝」は原語のギリシャ語では「カイサル」、英語の聖書(NIV、NRSV)ではCaesarまたはEmperorでした。その意味は「ローマ帝国元首、いわゆる皇帝」です。

 今日の福音書箇所、ことに「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」という言葉で、イエス様が私たちに示し、求めておられるのはどのようなことでしょうか?  
 それについては、本日の旧約聖書イザヤ書45章1-7節が参考になります。
 5節にこうあります。
「わたしが主、ほかにはいない。わたしをおいて神はない。わたしはあなたに力を与えたが あなたは知らなかった。」
 神様こそが主であり、唯一であること、そして私たちは気づいていませんが、神様は私たちに力を与えてくださるお方であることが述べられています。
 7節はこうです。
「光を造り、闇を創造し平和をもたらし、災いを創造する者。わたしが主、これらのことをするものである。」
 神様は光も闇も、平和も災いも創造される方で、その方が私たちの主であること、つまり神様は全能の創造主であることが示されています。
 本日の旧約聖書では、唯一の全能である神様はすべてを創造する力ある存在であること、そしてその方が私たちの主人であることが強調されています。

 今日の福音書でも、ファリサイ派の「皇帝に税金を納めるのは律法に適っているか、適っていないか」という質問に対して、イエス様は「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」と答え、神様の存在を強調しています。
 この答えの前半の「皇帝のものは皇帝に」の言葉によって、イエス様は、ファリサイ派の人たちは日頃からローマへの納税のための貨幣を持っており、すでにローマに納税しているのだから、納税を問うのは彼らの悪意の表れであることを明らかにしています。
  そして、この言葉の後半「神のものは神に返しなさい」にイエス様の主張の要点があります。生きとし生きる者はすべて神様によって創造され、どれも神様のものであり、神様に従うことは他のどんな命令をも超えるものなのです。イエス様はこの言葉でファリサイ派等、敵対者たちは「神様こそがすべての人の主人である」ことを忘れているという事実を明らかにしていると言えます。
 今日の箇所でイエス様が私たちに示しているのは「神様こそが私たちの主人である」ことと考えます。そして、イエス様が私たちに求めておられるは「神のものを神に返す生き方」であると思います。それはどんな生き方でしょうか?
 私たちは聖餐式の奉献で、献金をした後、「すべてのものは主の賜物。わたしたちは主から受けて主に献げたのです アーメン」と唱えています(祈祷書P.172)。それは、すべてのものを主からの賜物ととらえ、与えられたそれらを主に捧げた、言い換えれば、神様から借りていたものを本来の持ち主である主なる神様に返したことを宣言していると言えます。お借りしている賜物を持ち主である神様にお返しすること、それが「神のものを神に返す生き方」ではないでしょうか?

 ところで、皆さんはテレビドラマの「半沢直樹」はご覧になりましたか? このドラマは、まず2013年に放送され話題になり、その続編が先月末に終了しました。堺雅人演じる主人公半沢直樹の決めぜりふ「やられたらやり返す、倍返しだ!」が一世を風靡しましたが、続編では新たな名ぜりふが登場しました。それが、香川照之演じる大和田常務の「施されたら施し返す! 恩返しですっ!」という言葉です。 

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 これは与えられた賜物をそれを与えた方に返す、つまり「神のものを神に返す生き方」ではないでしょうか? 
 さらに半沢直樹もこう言っています。

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「大事なのは感謝と恩返しだ。」と。神様への感謝と恩を返すこと、これこそ私たちキリスト者がなすべきことではないでしょうか?

  皆さん、イエス様がファリサイ派の人々におっしゃった「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」という言葉は、私たちにも向けられています。
 主なる神様に仕え、与えられた賜物を主に返す、つまり「神様への恩返し」こそ、私たちがなすべき「神のものを神に返す生き方」であると考えます。私たちが日々の生活の中で、そう実践できるよう祈り求めて参りたいと思います。