オーガスチンとマルコの家

勤務している高崎聖オーガスチン教会や新町聖マルコ教会の情報やキリスト教文化や信仰などの話題を掲載します。

「唱歌・童謡とキリスト教(1)」

 新型コロナウイルスのため新たな撮影ができず、再放送をしているNHK朝の連続テレビ小説「エール」で、ヒロイン音が立教女学院と思われる聖歌隊福島県川俣の教会で聖歌を歌うシーンが、先日ありました。その歌声に裕一は惹かれます。その曲は「いつしみ深き友なるイエスは(聖歌482番・賛美歌312番)」でした。結婚式でもよく歌われる曲です。
 この曲は小学校の音楽の教科書で「星の世界」として親しまれてきたメロディーです。「かがやく夜空の 星の光よ」で始まる歌詞で公立学校では歌われてきました。調べてみると、この曲は明治43年に『星の界』(作詞 杉谷代水)として『中学唱歌』(田村虎蔵編)に登場、いわゆる文部省唱歌として歌われ続け、昭和45年からは現在の『星の世界』(作詞 川路柳紅)という名で音楽教科書に載るようになったとのことです。「きよしこの夜」を除くと日本で一番メロディーが親しまれている聖歌・賛美歌かもしれません。この曲は元々聖歌・賛美歌として作られています。その曲がなぜ文部省唱歌に入り、今も歌い継がれているのか、このことについてはここ2,30年で様々な研究がされてきています。
 1882~1884年(明治15~17年)に出版された「小学唱歌集」全3編91曲のうち15曲が賛美歌であったと言われます。それは、一説には、文部省が招聘したアメリカで小学唱歌を初めて取り入れたルーサー・W・メーソンが宣教師を志したほど熱心なキリスト者で、音楽を通して宣教の手助けをしたいと考えていたからとも考えられています。いずれにしても、日本の唱歌は最初からキリスト教と深いかかわりがあったことは確かです。
 今日の朝ドラ「エール」の再放送で、小学校の学芸会で音が「竹取物語」の劇の最後に歌った文部省唱歌「おぼろ月夜」も賛美歌の影響を感じさせます。また、官制の唱歌に対して民間の童謡でも「シャボン玉」はじめ賛美歌の影響を色濃く思わせる作品が多くあります。私は公立校出身でキリスト教と無縁に育ちましたが、大学の入学式かチャペル行事か何かでこの「いつしみ深き友なるイエス」が歌われ、私も「星の世界」でメロディーを知っていたので歌うことができたことを思い出します。私自身もそれらの音楽を通じてキリスト教に親しみを感じた一人です。そこでこのブログで、数回にわたって「唱歌・童謡とキリスト教」の関係について記したいと思います。

 今回参考にしたのは、まず大塚野百合の「賛美歌・唱歌ものがたり」です。

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 この本の「第1章 名作唱歌・童謡とキリスト教」の中に「岡野貞一の故郷について」があります。岡野貞一は小学唱歌教科書の編集委員として、唱歌の作曲を数多く手がけました。この本にこうありました。
 『故郷(ふるさと)の作曲者、岡野貞一は14歳の時に洗礼を受けたクリスチャンで、母校(芸大)で教鞭をとる一方、42年間、東京の本郷中央教会のオルガニストとして毎日曜日の礼拝で讃美歌を弾いていました。彼は、讃美歌のリズムに身をひたしていたので、無意識にこの讃美歌のリズムで作曲したのであろう』と。
 なお、作詞の高野辰之は明治9年に長野県の寒村、豊田村で生まれた国文学者で、苦学の上、東京音楽学校で学び、卒業後は教授として講義しました。
 「ふるさと」 は、高野の故郷・信州の風景を描いたものだと言われています。 岡野と高野による唱歌は、他にもよく知られた曲が多数あります。「春が来た」「春の小川」「紅葉」「おぼろ月夜」などです。これらの曲を、芥川賞作家の阪田寛夫は「讃美歌心の詩(うた)」の中で「自然讃美歌」と名付けています。

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 この本の中にこうあります。
『自然讃美歌とは、私が勝手に名付けた、キリスト教的なひびきを持つある種の唱歌を指す言葉です。日本人の作曲した曲なのに、オルガンでゆっくり弾くと、まるで讃美歌のように聞こえる曲が少なくありません。それらの曲がしずかに運ぶ歌詞は、おだやかに自然との共生をうたうものが多いのです。自然讃美歌の呼び名が一番ふさわしい唱歌を作曲したのが、岡野貞一という人でした。』

  「キリスト教的なひびき」とは西洋音楽の和声と共に、ミーター(音韻)の共通性もあるのではないかと私は思います。
「ふるさと」の歌詞はこうです。
『1兎追いし かの山  小鮒釣りし かの川
  夢は今も めぐりて  忘れがたき 故郷(ふるさと)
 2如何にいます 父母(ちちはは)  恙(つつが)なしや 友がき
  雨に風に つけても  思いいずる 故郷(ふるさと)
 3こころざしを はたして  いつの日にか 帰らん
  山はあおき 故郷(ふるさと)  水は清き 故郷(ふるさと)』

 この曲のミーターは64646664です。64調です。 これにぴったり合う讃美歌・聖歌に讃美歌475番(古今聖歌266番)があります。歌詞はこうです。
『1うき世のたび ゆく身は まくらすべき 家なく
  うきよとおそれ たえずあれど 天(あめ)こそわが ふるさと
 2あれ野のかぜ すさめど たびの終わり まじかし
  みねの吹雪 吹きたけれど 天(あめ)こそわが ふるさと
 3救い主の みもとに とわのさかえ われ受けん
  愛の友の ともにつどう 天(あめ)こそわが ふるさと』 
 
 文部省唱歌は、歌詞が花鳥風月、仁義忠孝で、メロディーが讃美歌の自然讃美歌と言えるものだったと考えます。唱歌の方は地上の故郷ですが、キリスト者にとっては讃美歌・聖歌にあるように「天(あめ)こそわが故郷(真の故郷は天の御国)」です。私たちは地上の生を終えるときも「帰天」と言います。本来の故郷(ふるさと)である天に帰るのであります。
 故郷(ふるさと)の3番にこうあります。
「こころざしを はたして  いつの日にか 帰らん・・・」
 私たちは、「こころざし(主の御旨)を果たして、天の御国に帰りたい」と切に祈る者であります。それこそが、キリスト者として生きることだと思います。