オーガスチンとマルコの家

勤務している高崎聖オーガスチン教会や新町聖マルコ教会の情報やキリスト教文化や信仰などの話題を掲載します。

復活節第5主日私祷「父なる神に至る道であるイエス様に従う」

    本日は復活節第5主日
 本日も高崎聖オーガスチン教会でアンテ・コミュニオン(聖餐式前半のみ・私祷)を捧げました。
 福音書箇所はヨハネによる福音書14章1-14節。説教では、イエス様は「道であり真理であり命である」と同時に「真理であり命である父への道」であることを示し、父なる神に至る道であるイエス様に従うよう勧めました。キーワードである「道」のタイトルそのままであるフェリーニの映画「道」にも言及し、「救いの道」について述べました。

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父なる神に至る道であるイエス様に従う

<説教>
 父と子と聖霊の御名によって。アーメン
 
 全国の緊急事態宣言が5月末まで延長になり、コロナウイルスの収束はまだ見えない状況と思われます。

 さて、教会の暦では、今日は復活節第5主日です。復活節の福音書ヨハネ福音書が継続して朗読されます。復活節第5主日には毎年、十字架直前にイエス様が弟子たちに言い残した「告別説教」の中から選ばれています。今年、A年はイエス様は道、真理、命であること、イエス様を見る者は父(神)を見ることになることを述べています。
 
  今日の福音書の箇所はヨハネによる福音書14章1-14節、新共同訳聖書の小見出しは「イエスは父に至る道」となっています。
 この箇所の前半1-6節は葬送式の時に読まれる箇所です。2節に「わたしの父の家には住む所がたくさんある。」とありますように、父なる神の家には住むところがたくさんある、つまり、だれでも神様と共にいられるという、慰めに満ちた箇所であります。
 4節でイエス様が行かれる道について話し、5節でトマスが「どうして、その道を知ることができるでしょうか。」と尋ねているように、今日の箇所のキーワードは「道」であると考えられます。トマスのこの問いに対してイエス様は6節前半で「わたしは道であり、真理であり、命である。」と答えます。イエス様は単なる導き手ではなく、道そのものであり、「真理と命」という「道」なのであります。しかし、別の解釈も可能です。6節後半に「わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」とあります。この言葉に照らしてみると、6節前半は、「イエス様は、真理であり命である父への道である」という意味にも取ることができます。ちなみに、ここで「真理」と訳されている言葉は「真実」とか「大切なこと」とも訳せる言葉です。そして、「わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」とありますが、見方を変えれば「私を通れば誰でも父なる神のもとに行くことができる」ということであります。
 この後の箇所では、イエス様と父なる神様との関係についての話が続きます。11節で「わたしが言うのを信じなさい。」とイエス様は弟子たちに対しておっしゃっています。何を信じなければならないのでしょうか?
 それは「わたしが父の内におり、父がわたしの内におられる」ということです( 10・11節)。言い換えれば、イエス様と神様はいつも一体であるということです。これらを信じる者は、イエス様の業を行う者となるのです。しかもイエス様は、「わたしを信じる者は、(略)もっと大きな業を行うようになる。」と弟子たちを勇気づけています。イエス様を信じる者はイエス様の業を行う者となり、さらに大きな業を成し遂げるというのです。これこそ大いなる救いの「道」、永遠の命に至る「道」であります。
 さらに、イエス様は「わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。」と約束しておられます。イエス様の名を呼び、イエス様の願いを求めるとき、神の栄光が輝くのです。

 ところで、今日の箇所のキーワードである「道」で思い浮かべる映画があります。それはタイトルそのままの、フェリーニが監督した「道」です。神学校で月一度映画会をしていたのですが、2015年度の第一回にこの映画を上映しました(ポスターを見せる)。

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 「道」は1954年のイタリア映画。フランシスコ教皇の一番好きな映画とのことです。純粋無垢な心の持ち主であるジェルソミーナと、粗暴で狡猾な大道芸人ザンパノが様々なところを巡って織りなすロード・ムービー。有名な箇所は、サーカスの芸人がジェルソミーナに「この世の中にあるものはどんなものでも、役に立つ。この小石も」と語るシーンですが、今回見直して、女子修道院でのシスターとの会話が心に残りました。
『若いシスターが聞きます。「あちこちへ巡業するのは、お好き?」
 ジェルソミーナ「あなたはここばかり?」
 シスター「私たちも移るのよ、2年ごとに僧院を変わるのよ、ここは2つ目 なの。」
 「どうして?」とジェルソミーナが聞くと、シスターがこう言います。
 「同じ所に長くいると・・・離れづらくなるから。住む土地に愛情がわいて 一番大切な神様を忘れる危険がある。わたしは神様と二人連れで方々を回る わけなの。」』
 ここにこの映画のタイトル「道」の秘密があると感じました。「道」は神様と二人連れで歩む道なのであります。そしてそれは大いなる救いの「道」です。

  皆さん、イエス様は私たちが父なる神様と共に住むことができる場所を用意してくださる愛情深い方です。そして、「道であり真理であり命である」と同時に「真理であり命である父への道」であります。また、イエス様と神様は一体であり、この道は、神様と二人連れで歩む「道」です。そしてそれは救いの「道」、永遠の命に至る「道」です。私たちはイエス様の話されることを信じましょう。イエス様を信じる者はイエス様の業を行う者となり、さらに大きな業を成し遂げると約束されています。父なる神様に至る道であるイエス様のみ跡に従い、永遠の命に至る道を絶えず進むことができるよう、祈り求めて参りたいと思います。