八木重吉の詩と信仰(1)
先主日、八木重吉の詩「神の道」を説教で言及しましたが、限られた説教時間で言葉が足りませんでした。この詩に込められた八木重吉の思い、特に彼の信仰にスポットを当て思い巡らしたいと思います。できれば「八木重吉の詩と信仰」については複数回記したいと考えています。
八木重吉(1898~1927)は、1921年東京高等師範学校卒業。在学中に単立「駒込基督会」の冨永徳磨牧師によって受洗。英語教師となってから詩作を始め、詩集『秋の瞳』 (1925) を刊行。草野心平に認められましたが、肺結核のため29歳で夭折しました。没後刊行の『貧しき信徒』 (28) 、『定本八木重吉詩集』 (58) などにより,次第にその評価が高まりました。
次の画像は、長女桃子が生まれた頃のものです(その後長男陽二も生まれます)。
彼の詩は、特に信徒になろうとした頃、信徒になりたての頃(25,6歳)によく読みました。「神の道」は、重吉の詩の中で私の最も愛する詩です。
神の道
自分が
この着物さへも脱いで
乞食のようになって
神の道にしたがわなくてもよいのか
かんがへの末は必ずここへくる
この詩は彼の死直後に刊行された詩集「貧しき信徒」に収められています。
重吉がこの詩を書くとき念頭にあったのは、次の聖句ではないでしょうか?
『イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない』(ヨハネによる福音書14章6節)
神の道とは、イエス様自身であり、父なる神様が統治する国、つまり神の国へ至るために従うべき道であると考えられます。
さらに従う方法、またその根拠としては次の聖書の箇所を思い浮かべます。
『イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。』(マルコによる福音書1章16~18節)
イエス様に呼ばれたら、生業としている物を捨てて従う、これが「神の道」に従う方法ととらえたと思われます。それを理想的生き方として、次のような詩が生まれます。
空のように きれいに なれるものなら
花のように しずかに なれるものなら
価なきものとして
これも 捨てよう あれも 捨てよう
しかし、教師という仕事があり妻も子もいる自分は、それを捨てることができない。その逡巡が、次の詩を生み出したと考えられます。
裸になってとびだし
基督のあしもとにひざまずきたい
しかしわたしには妻と子があります
すてることができるだけ捨てます
けれど妻と子をすてることはできない
・・・・
そして、自身を「貧しき信徒」と位置づけた同名の詩集にこの詩が収められました。自分の死期を悟った上で生み出された詩と考えられます。
雨
雨のおとがきこえる
雨がふっていたのだ
あの雨のようにそっと世のためにはたらいていよう
雨があがるようにしづかに死んでゆこう
重吉はこのようにありたいと願ったのだと思われます。彼の「理想」とする生き方です。そして、それは私の理想でもあり、また、彼の詩に親しむ多くのキリスト者の理想ではないでしょうか?
キリスト教における「召命」は自分が選ぶものではありません。イエス様に呼ばれたら、自分の持てる物、特に「執着心」を捨てて、イエス様の手足となって働くのです。そして、そうできるのはイエス様が共にいてくださるからです。八木重吉もそのようなキリスト教の本質をしっかりと理解しているが故に、この「神の道」の詩が生まれ、多くの人の共感を得ているのだと思います。