オーガスチンとマルコの家

勤務している高崎聖オーガスチン教会や新町聖マルコ教会の情報やキリスト教文化や信仰などの話題を掲載します。

聖霊降臨後第10主日 聖餐式『私たちと共にいて救う神』

 今日は聖霊降臨後第10主日。新町で聖餐式を捧げました(高崎は「み言葉の
礼拝」)。聖書個所は、旧約 ヨナ書2:2-10とマタイによる福音書14:22-33。
 説教では、「イエス様が湖の上を歩かれた」という奇跡の箇所を、27節の御言葉「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」にスポットを当てて、困難なときも共にいて私たちの声に応えて救ってくださる神様について語りました。当日の旧約のヨナ書から共通するテーマを導き、この福音書箇所を歌った入堂聖歌「ガリラヤの風かおる丘で」の2節の文言にも言及しました。
 なお、9月の第2日曜、13日10時半からの新町の礼拝には主教様が巡回されることになりました。

f:id:markoji:20200809130547j:plain

  『私たちと共にいて救う神』

<説教>
 父と子と聖霊の御名によって。アーメン

 先ほどお読みしました今日の福音書は、マタイによる福音書14章22節以下の「イエス様が、湖の上を歩かれた」という奇跡の箇所です。
 今日の箇所を振り返ってみます。    
 5000人以上の人々に食料を与えた奇跡の後、イエス様は弟子たちに、舟に乗って、先に向こう岸へ行くように命じました。そして、御自分はそこに残っていた群衆を解散させ、一人で近くの山に登り、夕方になってもそこで静かに祈っておられました。
 一方、弟子たちが乗った舟は、岸から漕ぎ出して、もう何百メートルも離れたところに来ています。ところが、その頃から逆風が吹きはじめ、なかなか前に進むことができません。夜が明けるころ、イエス様が、湖の上を歩いて弟子たちのところに近づいて来られました。弟子たちは恐れ、おびえ、「幽霊だ」と叫び出しました。イエス様は、彼らのすぐ近くまで来て、弟子たちに話しかけられました。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」
 イエス様と知って、ペトロが言いました。「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」と。イエス様は、「来なさい」と言われました。ペトロは、舟から降りて、水の上を歩き、イエス様の方へ進んで行きました。しかし、辺りを見渡すと、強い風が吹いています。すると、急に不安になり、怖くなりました。と、同時に、沈みかけました。ペトロは、思わず、「主よ、助けてください」と叫びました。イエス様は、すぐに手を伸ばして、ペトロを捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われました。
 そして、イエス様とペトロが、舟に乗り込みますと、風は静まり、波も静かになりました。舟の中にいて、その様子を見ていた弟子たちは、「本当に、あなたは神の子です」と言って、イエス様を拝みました。
 このような箇所です。この箇所で注目したのは、イエス様が恐怖のどん底にいる弟子たちに向かって言った「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」という言葉です。この「わたしだ」は、ギリシア語原文では「エゴー・エイミ」であり、英語の聖書では「I am」となっていました。「エゴー・エイミ」は「わたしがいる」とも訳すことができ、「わたしがいる」は、「わたしはあなたと共にいる」という意味でもあります。なお、「エゴー・エイミ」は、旧約聖書では神様が御自身を表すときに用いられた表現(「わたしはある」出エジプト記3:14)です。

 本日の福音書を通して、神様が私たちに伝えようとしていることはどんなことでしょうか?
 そのことでは本日の旧約聖書のヨナ書が参考になります。ヨナは王国分裂時代の北イスラエル王国に現れた紀元前750年頃の預言者です。ヨナ書は童話「ピノキオ」にも影響を与えた、ヨナが大きな魚に飲み込まれた物語として知られています。神様からニネベに行くように言われたヨナは、そこが異教徒の地であることからそれを拒み、港から船に乗り込みましたが、嵐に遭いそれを静めるために海に放り出され大きな魚に飲み込まれます。本日の箇所では、ヨナがその大きな魚の中で三日三晩過ごし、そこで祈った言葉が記されています。 
 2~3節にこうあります。
「ヨナは魚の腹の中から自分の神、主に祈りをささげて、言った。苦難の中で、わたしが叫ぶと/主は答えてくださった。陰府の底から、助けを求めると/わたしの声を聞いてくださった。」
 ここでは苦難の中で主の助けを求めると応えてくださる神様が示されています。
 また、7節にこうあります。
「わたしは山々の基まで、地の底まで沈み/地はわたしの上に永久に扉を閉ざす。しかし、わが神、主よ/あなたは命を/滅びの穴から引き上げてくださった。」
 神様はヨナの命を救われました。さらに、10節にこうあります。
「わたしは感謝の声をあげ/いけにえをささげて、誓ったことを果たそう。救いは、主にこそある。」
 ここではヨナが感謝し、使命を果たすことを誓い、最後に「救いは、主にこそある。」と言って「神様によって救われたこと」を明言しています。
 本日のヨナ書では、助けを求めると神様は応えてくださり、救ってくださることが示されています。

 本日の福音書でも「主よ、助けてください」と叫んだペトロに対して、イエス様はすぐに手を伸ばして捕まえ救ってくださいました。ちなみに、ここに出てくる「舟」は教会を表し、そして荒れ狂う「湖(海)」は教会に対して戦いを臨む力を表しているとも考えられてきました。「湖(海)」の上を歩いて「舟」に近づくイエス様は神様がいつも共にいてくださることを示しています。大風・大波という困難の中にも神様が共におられるのです。
 私たちの人生もこの「湖(海)」のようです。大風・大波が吹く人生の様々な困難にぶつかりくじけそうになるとき、イエス様はそこに道を開き私たちに近づいてくださいます。そして、大変になりそうな時は「主よ、助けてください」と叫ぶことが肝心です。そうすれば、主は御手を伸ばして私たちを捕まえてくださいます。イエス様は「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と問います。しかし、それは拒絶ではありません。イエス様は信仰が薄くても疑う者でも見放さず救いの手を伸ばされます。イエス様が舟に乗り込むと風は静まります。結果として、舟に乗り込んでいた人たちはイエス様を神の子として礼拝したのです。
 本日の福音書を通して神様が私たちに伝えようとしていること、それは、どのようなときも神様は私たちと共にいて、助けを求めると神様は応えて救ってくださる、ということではないでしょうか?

  ところで、先ほど入堂聖歌として取り上げられた聖歌「ガリラヤの風かおる丘で」の2節は本日の福音書の箇所を歌ったものです。こうあります。
 『2. あらしの日 波たける湖(うみ)で 弟子たちをさとされた
  力の御言葉を わたしにも聞かせてください』
 この嵐の湖(うみ)で弟子たちを諭されたイエス様の御言葉が「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」です。その御言葉を私たちも聞かせていただけるようお祈りしたいと思います。

 私たちは、日常生活で様々な問題に直面します。家庭や学校や職場での問題、人間関係、健康上の不安、お金の問題、昨今のコロナウイルスや社会問題等々です。多くの問題が押し寄せ、何とか乗り切ろうと一生懸命漕いでいますが、こぎ悩んでいます。そして、私たちは、ややもすれば自分の力で何とか乗り切ろうとします。しかし、それでは沈みそうになってしまいます。そんなときは「主よ、助けてください」と叫びましょう。様々な困難なときも神様は私たちと共におられ、その声に応えて救ってくださるのです。
「安心しなさい。わたしが共にいる。だから、恐れることはない」、イエス様は私たち一人一人にそう呼びかけておられます。そのイエス様をしっかり見つめ、いつも主が共にいることを忘れず、神様に信頼する信仰を持って、毎日を過ごすことができるよう祈り求めたいと思います。