オーガスチンとマルコの家

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聖霊降臨後第24主日聖餐式 『神を恐れずタラントンを生かす』

 本日は聖霊降臨後第24主日。高崎の教会で聖餐式を捧げました。聖餐式に先立って、11月2日に帰天され先主日(8日)葬送告別式が行われた秋葉晴彦司祭様の魂の平安のため、参列した会衆と共に祈りを捧げました。

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 聖餐式の聖書箇所は、テサロニケの信徒への手紙一5:1-10 とマタイによる福音書25:14-15、19-29。説教では、「タラントンのたとえ」から、神様は愛の神様であり、私たち一人一人にもそれぞれに応じたタラントンを預けておられることを自覚し、恐れず主に信頼し日々タラントン(賜物)を活用するよう祈ることを勧めました。晴佐久神父の著書「星言葉」の言葉にも言及しました。 

 『神を恐れずタラントンを生かす』

<説教> 
 父と子と聖霊の御名によって。アーメン

  今日は聖霊降臨後第24主日です。福音書の箇所は、マタイによる福音書25:14以下の「タラントンのたとえ」としてよく知られているものです。 
 今日の箇所はこんな話でした。
 『「天の国は次のようにたとえられる。」とイエス様はお話されました。主人が旅行に出るとき、3人の僕に5タラントン、2タラントン、1タラントンを預けました。時が経って主人が帰ってきて清算をしました。5タラントン預かった僕はそれを元手に商売をして稼いだ5タラントンを加えて10タラントン返しました。2タラントン預かった僕も同様に4タラントン返しました。主人はこの2人を「忠実な良い僕だ。よくやった。」ととても褒めて、この2人に多くの物を管理させることにしました。1タラントン預かった僕は地の中に埋めておいた1タラントンを掘り出して返したのですが、「怠け者の悪い僕だ。」と叱られました。彼の1タラントンは10タラントン稼いだ者に与えられました。』

 この主人とは誰のことでしょうか?・・・神様でありイエス様であると考えられます。では僕(しもべ)たちとは?・・・私たちのことだと言えます。 

 タラントンとは、お金の単位で、6000デナリオンです。1デナリオンは労働者の1日の賃金に当たります。仮に1デナリオンを1万円としますと1タラントンは6000万円ということになります。そう考えると5タラントンは3億円、2タラントンは1億2000万円となります。神様は私たち一人一人にそれほど巨額のものを預けておられるのです。
 タラントンから英語の「talent」という言葉が生まれました。それは「才能、素質、能力」を意味します。今、テレビに出ているタレントというのは、このタラントンから来た言葉です。
 神様は、人それぞれに、ある人には、5タラントン、ある人には2タラントン、そして、ある人には1タラントンの財産、才能、能力を預けました。みんな、同じではありません。神様から、それぞれに、違った才能、能力が預けられているのです。そして、私たちは、与えられている、限られた時間の間に、命がある間に、それを元手に活用して、神様の期待に応えることが求められています。そして、突然、私たちは神様の前に出て精算しなければならない時が来ます。それは終末の時ですが、自分のこの地上での人生の終わりの時と言い換えてもいいかもしれません。
 
 この箇所における、5タラントンや2タラントン預けられた人と、1タラントン預けられた人の違いは何でしょうか? 5タラントンの人は、5タラントン儲けて10タラントンにして、2タラントンの人は、これを元手に2タラントン儲けて4タラントンにして、神様の前に差し出しました。以前に流行った言葉でいえば、「倍返し」です。それに対して、1タラントンの人は、地の中に埋めてしまい、これを増やそうとしませんでした。前者は神様から預けられたタレント(才能・能力)を生かしたのに対して、後者はそれを生かさなかったと言えます。
 現在の私たちには、財産を地の中に埋めることは奇異に感じますが、当時のユダヤではよくあることだったようです。ユダヤは小さな国で周辺の大国に攻められることがよくあり、その時すべてを持って逃げることはできないので、財産を土に埋めて避難し、敵が去ったときに元の場所に戻るということがなされていたようなのです。そうすると、1タラントン預けられた人の行動は単純に批判はできないようにも思います。

 では、この1タラントン預けられた人の問題点は何でしょうか?・・・ それは主人を正しく理解せず信頼しなかったことと思われます。
 24・25節にこの人の言葉でこうあります。『御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。』
  この人は神様、イエス様を厳しい方ととらえ恐れています。しかし、神様は本当にそのようなお方でしょうか? 今日の使徒書、「テサロニケの信徒への手紙一 5:9・10」にこうあります。「神は、わたしたちを怒りに定められたのではなく、わたしたちの主イエス・キリストによる救いにあずからせるように定められたのです。主は、わたしたちのために死なれましたが、それは、わたしたちが、目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになるためです。」 
 神様はこのようお方です。神様は私たちを救うために独り子であるイエス様をこの地上に送るほど愛しておられるのです。1タラントン預けられた人は間違った理解をしていたと言わざるを得ません。だから恐れたのです。
 ある心理学者は愛の反対は「恐れ」と言っています。この本、晴佐久昌英神父様の「星言葉」にもこうありました。

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『愛の反対語は、憎しみではない。憎しみは、屈折した愛だからだ。
 憎しみすら感じない無関心こそ 愛の反対語だという考えもある。
 しかし、それでは 関心があれば愛が働くかと言うと、そうとも限らない。
 愛の対極にあって、愛の働きを封じる力、それは恐れだ。
 恐れこそ 自らを闇へ封じ込め、人と人を限りなく隔ててしまう、愛の完全な 反対語だ。』(晴佐久昌英著「星の言葉(P.28)」より)
 愛の反対は「恐れ」と言えます。言い換えれば、愛さないときに恐れがあるのだと思います。
 私たちはどうでしょうか? 愛の神様を正しく理解しているでしょうか? 厳しい方ととらえ、恐れることはないでしょうか?

 神様は「お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。」とおっしゃいます。少しのものに忠実であること、小さなことに誠実であることが求められています。この世において、華やかなこと、派手なこと、賞賛をあびるようなこと、神様が私たちに求められるのは、そういうものではありません。「5タラントンの財産を預かっている人は、それを忠実に誠実に使いなさい。2タラントンの人は2タラントンを忠実に誠実に使いなさい」と言われるのです。
 神様からお預かりしているタラントン、大事な神様の財産、才能、能力、体力、性格、知識、経験、あらゆる賜物を「忠実な良い僕だ。よくやった。主人と一緒に喜んでくれ。」と言われるように、忠実に、主を信頼して生かすことが大切なのだと思います。

  皆さん、神様は私たち一人一人にもそれぞれに応じたタラントンを預けておられます。それを地中に埋めるのでなく、活用することを神様は求めておられます。愛の神様を正しく理解し、恐れず主に信頼し、イエス様がいつ来られてもよいように、日々タラントンを生かしたいと願います。すべてを主にゆだね、それぞれのタラントン(賜物)を忠実に誠実に活用するよう、祈り求めたいと思います。