オーガスチンとマルコの家

勤務している高崎聖オーガスチン教会や新町聖マルコ教会の情報やキリスト教文化や信仰などの話題を掲載します。

「十字を切る」意味とその場面

 先主日の礼拝で「十字を切る」意味についても言及しましたが、そこではテーマに合致する一つを紹介しました。今回は他の説や十字を切る場面(箇所)等についても記してみたいと思います。
 聖公会では、「十字を切る」ことは必ずしなければならないものではありませんが、私が育った教会では多くの信徒がしていたので私も自然とするようになりました。
 今も、私は朝起きたとき、夜寝るとき、食前などに、十字を切っています。またこれまで、会議や発表の前等に、親指で唇に小さな十字を切って祈ることもありました。しかし、これらのことについて深く考えず習慣的にしているようなところもあったと思います。所作にはそれぞれ意味があります。先主日の新町の礼拝で跪拝(genuflexion)をしている信徒がおられました。御聖体を受け取るために聖壇に向かうときです。長い信仰生活がそうさせたのだと思います。「御聖体の前に出るときはこうするように教えられた」とのことでした。その人の信仰が所作として現れるのだと思いました。所作はしなくてもいいのかもしれませんが、信仰生活が豊かになるツールと私は理解しています。司祭として会衆に聖壇(オールター)から三位一体の十字で祝福するとき、信徒の方が十字を切って返してくださると嬉しくなります。
 
 「十字を切る」意味については、先主日紹介した晴佐久昌英神父の「十字を切る」にこういう表現もあります。
『父と、子であるキリストをつなぐ、上から下へと切る十字の縦の線は、父からの一方的圧倒的無条件の永遠の愛。この縦の線は一言で言うならば「恩寵の線」と言うべきでしょう。十字を切る横の線は「普遍の線」と言うことができます。神の愛が時間の空間も超えてあらゆる現場に広がり、神の救いがすべてに及んでいるという、水平線です。そして、手を合わせ、全ての時代全ての人につながる恩寵と普遍の十字の真ん中に「わたし」がいることを表します。十字を切る時「わたし」が生まれると言ってもいい。』(P.205~213)

 また、桑山隆執事はその著書「礼拝と奉仕」(P.24)でこう述べています。

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『十字架はキリスト信者のしるしであり、信仰の表明、信者の旗印です。私たちが洗礼を受けた時、額に十字架の形を記していただいたことを覚えていると思います。このように古くからの習慣を持ち続けるならば、それは信仰を表す一助となるのです。』
「十字を切る」所作はカトリック正教会では、『「公的・私的な祈りにおいて用いる準秘跡の行為」であり「十字架の死をもって死を滅ぼし復活したキリストに対する信仰告白の行為」とされる。「キリストのものとする」「(神に反するものを退け)神に従う」という意味が込められる。』とされています(「岩波キリスト教辞典」P.527)。
「十字を切る」ことは信仰の表明であり、キリストに対する信仰告白・神に従う意志を表しているのです。
 もともとは額に親指で十字をしるしていていましたが、後に大きく十字を切るようになったようです。前ウイリアムス神学館長で、現東北教区主教の吉田雅人主教はこう述べています。
『「おれむす」では「十字の印は聖洗礼の聖奠に与かりましたとき『キリストの十字架を恥とせず』と祈りましたことを、積極的に私たちの言動に表す決心と信仰のほどを、儀式的に表現したもので、動作を持ってなされる射祷とも云えましょう」と説明しています。ですから十字を切ることは、洗礼の時に約束を思い起こす三位一体の神への信仰告白的な所作であり、また事物の上に聖霊の働きによる清めや強めを祈り求める所作だと言えるでしょう。』(「今さら聞けない!?キリスト教(礼拝・祈祷書編)」P.257~258)
  十字を切ることは「動作を持ってなされる射祷」ということに納得し、三位一体の神への信仰告白的な所作であることを心に留めたいと思います。

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 また、竹内謙太郎司祭はこう述べています。
『「父と子と聖霊のみ名によって」、これは一つの宣言であって、これからなされる教え、または行動がまさに神の直接的な業であることを表現する。』(「改訂版 教会に聞く(新祈祷書による教会問答)」P.232)    
 十字の祈りを唱え、十字を切ることで、これからなされる行動が神の業であることを示しているというのです。私は神の業がなされるように祈りたいと思います。

 ところで、十字の記し方には二通りあります。大きな普通の十字と、小さな十字のしるしです。礼拝ではどの箇所で「十字を切る」のでしょうか?
 前述した桑山隆著「礼拝と奉仕」にこうありました(P.25)
・大きな十字をしるす箇所
 1. お祈りの初めに「父と子と聖霊のみ名によって」と唱える時。
  2. 大栄光の歌の最後。
  3. ニケヤ信経、使徒信経の最後。
  4. 懺悔の後の赦罪の祝福の時。
  5. 「聖なるかな」に続く「ほめたたえよ」を唱える時。
  6. 感謝聖別の折のパンと聖杯の奉挙の時。
  7. 陪餐の前。
  8 .最後の祝福「父と子と聖霊なる・・・・」の言葉の時。
・小さい十字の記し方
 右手の親指の内側で、額と口と胸の三箇所で、福音書朗読のとき、朗読者が「聖・・・による福音書第・・章・・節以下に記された主イエス・キリストの福音。主に栄光」に続いて「主に栄光がありますように」と唱えるとき、この小さな十字を記します。
 これは、額(思い)と口(言葉)と胸(行い)で、福音の証し人となることをあらわす意味があります。

 聖餐式では、司祭は信徒よりも多くの箇所で十字を切ります。十字を切ることは、祝福することを意味します。「神様があなたと共にいてくださる」という思いを、十字の形を通して伝えています。私にとって神様の祝福を分かち合うのは、この上ない喜びです。
 聖餐式の中だけでなく、私は朝起きたとき、夜寝るとき、食前や何かを始めるときなどに、十字を切りながら「父と子と聖霊のみ名によって」と唱えて三位一体の神を想起し神と結ばれ、神の業がなされるように祈り求めていきたいと思います。
 皆さんも、聖公会カトリックの信徒でなくても、プロテスタントの方もキリスト信徒でない方も「十字を切る」ことをお勧めします。それによって、私たちを創造された父なる神、救い主としてこの地上に来臨された子なるキリストの神、今もこの世界を清めている聖霊なる神に結ばれ、神の国に導かれ救いに預かることができるのです。