オーガスチンとマルコの家

勤務している高崎聖オーガスチン教会や新町聖マルコ教会の情報やキリスト教文化や信仰などの話題を掲載します。

「ジョーン・バエズの音楽と信仰」

 皆さんはジョーン・バエズはご存知ですが? 私以上の団塊の世代の方には馴染みがある名前だと思います。学生運動が盛んだった1960年代、彼女は「フォークの女王」と呼ばれていました。以前、「本田路津子キリスト教」について記しましたが、本田路津子や森山良子は「和製ジョーン・バエズ」と言われていました。本田路津子ジョーン・バエズの大ファンで彼女の曲をギターでコピーし、彼女の「シルキー」という曲をフォークソングコンテストで歌い優勝しデビューしました。「バエズなくして私の歌手生活のスタートはありませんでした」と本田路津子は言っています。
 ジョーン・バエズのレパートリーには「アメージング・グレース」や「オー・ハッピー・デー」や「勝利を我らに(ウイ・シャル・オーバーカム)」等ゴスペルナンバーが多くあります。1963年のキング牧師のワシントン大行進のおりに「勝利を我らに」の曲を歌ったことも有名です。彼女の音楽と信仰はどのようなものだったのか、今回はそのことについて、思い巡らしてみたいと思います。
 彼女の半生について、まず参考にしたのはこの本「ジョーン・バエズ自伝 矢沢寛/佐藤ひろみ訳 晶文社」です。彼女が45歳の時に記した「自伝」です。ちなみにジョーン・バエズは、一昨年2018年に最後のコンサートを行い引退しましたが、今回のコロナウイルス感染拡大に対応してYoutubeでション・レノンのイマジンを歌うなど、情報発信を続けています。

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 この本の「序」の最初にこうあります。
『私は才能に恵まれて生まれてきた。私は深い感謝をもってこの才能を語ることができる。なぜなら、それは私が創りだしたものではなく、神そのひとの贈り物だからである。・・・何らかの力によって与えられた最高の贈り物、それはこの歌声だ。そして、2番目の贈り物-これがなければ、私はおそらくまったく別の人間として別の人生を歩んでいたことだろう-それはこの声を、神から与えられたこの恩恵を、他のひとと分かちあいたいと思う激しい情熱だ。』
 この文から彼女の敬虔な信仰心を感じることができます。あの透き通るような美しい歌声を神からの賜物ととらえ、それを他の人と分かち合いたいと願っているというのです。
 日本ではフォーク・ソングは左翼のメッセージを伝えているようにとらえられがちですが、アメリカではピート・シガーやピーター・ポール&マリーなどもそうですが、キリスト教に立脚したメッセージ・ソングであることを忘れてはならないと思います。
 ジョーン・バエズは1941年、後にスタンフォードやMITで教鞭をとるメキシコ系物理学者の父とスコットランド出身の母の間にニューヨークで出生しました。父方の祖父はメソジスト派の牧師、母方の祖父は監督教会(聖公会)の司祭でした。メキシコ系であり小さいころから肌の色などで屈折した思いを味わされたりしましたが、信仰心豊かな両親のもと、想像力豊かに成長しました。両親に連れられてクエーカーの日曜学校に通いました。その天性の透明な美しいソプラノは小さいころから大いに注目されました。10代初めから歌とギターを習い、ボストン・カレッジ在学中には、コーヒー・ショップやクラブで歌うようになります。そして、1959年、第1回ニューポート・フォーク・フェステイバルに飛び入り出演するや、熱狂的支持を受けて、一躍スターダムへと駆け上がり、翌60年、第2回フェステイバルに正式出演。このころには、早やフォーク歌手として全米で不動の地位を獲得していました。そして、最初のレコーデイングをします。それがこのアルバムです。

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 その後、大学のキャンパス・コンサートや、反戦や難民救済コンサートに積極的に参加、プロテスト・ソング・シンガーとして、おしもおされぬ存在となり、62年のカーネギーホール・コンサートでは大成功をおさめます。このころ大ヒットした曲が、「朝日のあたる家」「ドンナ・ドンナ」「雨をよごしたのは誰」「勝利を我らに」などです。

 さて、日本でジョーン・バエズといえば、ファースト・アルバムにあった「ドンナ・ドンナ」が1964年にシングルとして発売され、大ヒットし一躍有名になりました。今回は特にこの曲にスポットを当てて、論を進めたいと思います。
 ジョーン・バエズの「ドンナ・ドンナ」はここのYoutube で聞くことができます。
https://www.youtube.com/watch?v=j1zBEWyBJb0&list=TLPQMjkwNzIwMjB0Yo_LRMryXg&index=1

 日本語版の「ドナ・ドナ」は、まず1964年4月、デューク・エイセスのシングル「花はどこへいった」のB面として漣健児の訳詞により「ドナ・ドナ・ドーナ」として発表されました。 続いて1965年3月、ザ・ピーナッツのシングル「かえしておくれ今すぐに」のB面として安井かずみの訳詞により「ドンナ・ドンナ」として発表されました。そして、1966年2月から3月まで、同じく安井の訳詞で若干異なる内容のものが、岸洋子の歌により、NHKの歌番組『みんなのうた』で「ドナドナ」として放送されました。私が小学生の頃、これを見て歌ったのを覚えています。小学校・中学校・高等学校の音楽の教科書にも掲載され、学生向けの歌集にも載っています。
 その歌詞はこのようです。訳詞したのは安井かずみです。ちなみに、安井かずみ日本基督教団鳥居坂教会の信徒でした(夫の加藤和彦も同様)。

「ある晴れた 昼さがり いちばへ 続く道
 荷馬車が ゴトゴト 子牛を 乗せてゆく
 かわいい子牛 売られて行くよ
 悲しそうなひとみで 見ているよ
 *ドナ ドナ ドナ ドナ 子牛を 乗せて
  ドナ ドナ ドナ ドナ 荷馬車が ゆれる

 青い空 そよぐ風 つばめが 飛びかう
 荷馬車が いちばへ 子牛を 乗せて行く
 もしもつばさが あったならば
 楽しい牧場に 帰れるものを
 *繰り返し」

 ジョーン・バエズが歌った英語版はこうです。
「On a wagon bound for market There's a calf with a mournful eye.
 High above him there's a swallow Winging swiftly through the sky.

 How the winds are laughing They laugh with all their might
 Laugh and laugh the whole day through And half the summer's night.
 Donna Donna Donna Donna Donna Donna Donna Don・・・

 "Stop complaining," said the farmer, "Who told you a calf to be"
 Why don't you have wings to fly away Like the swallow so proud and free?"

 Calves are easily bound and slaughtered Never knowing the reason why.
 But whoever treasures freedom, Like the swallow must learn to fly
 Donna Donna Donna Donna Donna Donna Donna Don・・・」

 訳してみます。

『市場へと向かう馬車の上に 寂しげな目をした一頭の子牛がいる
 はるか上ではツバメが一羽 すいすいと空を飛んでいる

 どのように風は笑っているだろう 彼らは力のかぎり笑う
 日中そしてこの暑い夏の夜中まで 笑い通すのだ
 *ドナドナドナドナ、ドナドナドナドン
 ドナドナドナドナ、ドナドナドナドン

 「不平を言うな!」と農夫が言う
 「誰がおまえに子牛になれなんて言ったか。なぜ、おまえは、誇りを持ち、 自由があるツバメのように翼を持たないのか?」

 子牛たちは、簡単に縛られ屠殺される 
 その理由を知ることは、決してないだろう。
 しかし、自由がとても大切なものだと知る人はみな誰でも、ツバメのように 飛ぶことを学ぶのだ
 *くりかえし     』

 「ドナドナ」の歌について調べました。この歌は、もともとはイディッシュ語(ドイツからポーランドあたりに住んでいた、ユダヤ人がしゃべる高地ドイツ語)の歌だったそうです。1940年に、米国で、イディッシュ語のミュージカルの挿入歌として、発表されました。ミュージカルとともに作曲者は、ショロム・セクンダ氏で、作詞者は、アーロン・ゼイトリン氏。ともに、ユダヤアメリカ人です。この歌は牧場から市場へ売られていく子牛を歌っており、これに関して、ユダヤ人がナチスによって強制収容所に連行されていくときの様子を子牛に見立てた反戦歌とする説がありますが、時系列的に見れば無理があります。しかし、解放を願うユダヤの民の思いが込められていると私は考えます。

 この歌は、農夫と子牛の間の、屠殺場へ行きすがらの感傷的な会話で進行しています。子牛は、悲しいです。 なぜなら、自分がこれから死んで行こうとしているのに、ツバメは頭の上を飛んでいて 自分の困難な立場とは無関係でいるからです。農夫は子牛のそんな状態を非難し、叱り付けます。そしてもしできることなら子牛にツバメのような羽が生えてくるように、けしかけます。 この歌は、救いようがない子牛に対する皮肉っぽい観察と、彼らの短い生涯を終えることがどれほど簡単なことか、と結論付けますが、最後の行で、この歌が単に子牛とツバメのことを話しているのではなく、自由のことを話題にしていることが分かります。
 ジョーン・バエズだけでなく多くのフォークシンガーがこの歌を、これまでに歌ってきました。彼らはみな、この歌のなかに抑圧の犠牲や、政治的自由の欲求が込められているとする一般的な見解を持っていました。

 ジョーン・バエズは彼女の最初のアルバムにこの曲を選び、さらにレコードで言えばA面の最後にこの曲を持ってきました。その思いは何だったでしょうか?
 私はこのように黙想しました。
 聖書にツバメが出てくる箇所で、思い浮かぶのは詩篇84編の4節です。こうあります。
「あなたの祭壇に、鳥は住みかを作り
 つばめは巣をかけて、雛を置いています。
 万軍の主、わたしの王、わたしの神よ。」
 そして、5節がこう続きます。
「いかに幸いなことでしょう
 あなたの家に住むことができるなら
 まして、あなたを賛美することができるなら。」
 ここでは、神殿につばめが巣を置いている情景と、神のもとに宿る人のイメージを重ねて、神を賛美しています。
 さらに、11節でよく知られた聖句が続きます。
「あなたの庭で過ごす一日は千日にまさる恵みです。」
 詩編84編の詩人は、ツバメが安全な家である「神殿」を選んで巣を作るように、人もまた、神の懐に住むのが幸いで大きな恵みと考えています。
 「ドナドナ」の詩人も、空を自由に飛ぶツバメが神殿に巣を作り神の懐に住むことで幸いで恵みが得られることを暗示したのではないか、と思うのです。

 さらに、曲の中で繰り返される「Donna Donna」は原譜ではDONAY(ドナイ)になっていて、これはADONAYをカムフラージュしたものではないか、という説があるそうです。アドナイはヘブライ語で「わが主」の意。ユダヤ教徒は神の名(ヤハウェ)を直接呼ぶのを恐れて「アドナイ」と呼びました。ドナドナがアドナイだとすれば、「ドナドナ」と繰り返すこの言葉は「主よ、主よ、主よ、(アドナイ・アドナイ・アドナイ)」と言っていることになります。この言葉によって、解放とともに、神の懐に住む願いを主なる神に祈っているのではないでしょうか?

 ジョーン・バエズは自身の最初のアルバムのA面の最後にこの曲を入れ、神の懐に住む願いを主なる神に祈り、余韻を持たせてA面を終わらせたのではないでしょうか?

 ジョーン・バエズは前述した彼女の「自伝」の中で、「中学校では学校に行くのは平均週3日で、後は気分が悪いと言い訳して家にいた。中学校で初めて人種的な背景の悩みに直面した。私はメキシコ人の名前と肌と髪を持っていた。当然白系アメリカ人に受け入れられるはずもなく、スペイン語が話せないという理由でメキシコ人からも仲間はずれにされた」と告白しています。彼女は今でいう「不登校」で、「いじめ」を受け人種差別にあっていたのです。当時、多くの日本人は彼女を白人のアメリカ人と見ていたように思いますので、あまりそのような理解はしていなかったと考えます。自身が人種差別の対象であった彼女が、ユダヤ人や黒人に共感するのは納得します。最初のアルバムから「Little Moses」などゴスペル・ソングが入っています。
 宗教については、彼女は自伝の中で「私が信じているのはこういうことだ。この世には私たちに善い行いをさせようとする何か絶対的な力があって、それで人は常に良心を持つようになる。そして、その至上の力が、日々の奇跡を起こしている。それが私の考えでは神なのだ。私は神に喜んでもらえるようなことがしたいと思う。」と述べています。両親の関係でクエーカーとかかわりはありますが、彼女の信仰はそれに留まらず、もっと広い普遍的なものを求めていたように思います。「主よ、主よ、主よ、(アドナイ・アドナイ・アドナイ)」と。