オーガスチンとマルコの家

勤務している高崎聖オーガスチン教会や新町聖マルコ教会の情報やキリスト教文化や信仰などの話題を掲載します。

高崎聖オーガスチン教会聖堂の設計者はだれ?

 私たちの高崎聖オーガスチン教会聖堂は2008(平成20)年3月7日、国の登録有形文化財に登録されています。最近は、外出自粛のためか訪れる方もほとんどありませんが、昨年は、それを知って聖堂を見学に来る方が結構いました。中にはいろいろな教会巡りをしてそれをインスタグラムで紹介している方も来られました。当教会聖堂の設計者の検討を卒業論文で取り上げ、昨年の秋に2回訪問された学生さんもおりました。日本工業大学工学部建築学科の濵野直紀さんです。先日、その卒業論文の梗概(内容をまとめたもの)を送って下さいました。
 タイトルは「日本聖公会高崎聖オーガスチン教会の建築の特徴と設計者の検討-上林敬吉が手掛けた日本聖公会の教会との比較を通して-」です。ご本人の了解を得て、内容を紹介します。

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 従来、当教会聖堂の設計者については、2016年に発行された教区の「わたしたちの教会 教区成立120年」の本にありますように、その「設計は米国建築技師ウイルソンと言われ」と表記されています。2005(平成17)年4月の登録有形文化財申請用添付資料の「高崎聖オーガスチン教会略史」でも、「設計・監督 米国建築技師ウイルソン(推定)」となっています。その根拠ははっきりしませんが、1918(大正7)年4月から1929(昭和4)年5月まで在任した北澤繁松伝道師が1929(昭和4)年に完成した当教会聖堂建築に尽力しましたが、北澤師の前任地熊谷でも1919年(大正8)年5月に総レンガ造りの礼拝堂が完成し、その設計・監督がウイルソンだったからかもしれません。 
 それに対して日本工業大学の濵野直紀さんは、高崎聖オーガスチン教会は、J.M.ガーディナーの事務所に勤め、その後独立した上林敬吉によって設計された教会と類似する点が多く、上林敬吉によって設計された可能性が高いと推測しています。濱野さんは、高崎聖オーガスチン教会と上林敬吉が設計した教会の建築的特徴について次の表1、表2に整理しています。

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   ここで比較されている上林敬吉が設計したとされる浦和、盛岡、秋田、福井、郡山、宇都宮、大宮のうち、私が入ったことのある教会は浦和と宇都宮と大宮ですが、確かにウイルソンが設計した総レンガ造りの熊谷や川越より当教会の雰囲気に近いように感じます。 
 濵野直紀さんは高崎に一番近いのは盛岡であるとして、このように述べています。
「両教会は同時期の建設で、高崎教会の定礎式が昭和4年8月、上棟式が同年9月で、一方、盛岡の教会は、昭和4年7月に礼拝堂建築着工されている。聖別は、盛岡聖公会昭和4年12月15日、高崎聖オーガスチン教会が昭和4年12月21日で、盛岡が僅かに6日早い。すなわち、両教会とも着工と竣工ともにほぼ同時であり、工事がほぼ同時並行で進められていたと言える。上林が高崎を設計したとするならば、別の設計者同士が非接触で設計したとは考えにくく、何かのデザインを引用しながら設計したと推測できる。従って、上林敬吉が設計したと考えるのが、最も自然と思われる。」

 盛岡の教会の外観はこのようです。

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 確かによく似ています。私たちの高崎聖オーガスチン教会聖堂は上林敬吉が設計したとするのには説得力があるように感じます。
 しかし、やはり外観が似ている福井聖三一教会のホームページにこのような記事がありました。「この礼拝堂は、バーガミニーの基本設計、戸田建設施工によって、1931年(昭和6年)4月に建てられました。福井市は1945年7月19日の大空襲によって、ほとんどの建物が焼失し、この礼拝堂も木造部分が焼け、ステンドガラスも鉄枠が変形するなどの被害を受けました。岩手県盛岡聖公会の礼拝堂が同じ設計者であり、設計図(左右が反対になっている裏焼)が保存されていたのでそれを元に復元しました。」 また、別の専門家のホームページには「福井聖三一教会 設計・J・バーガミニー 棟梁・上林敬吉」とありました。そうすると盛岡聖公会に類似している高崎聖オーガスチン教会聖堂もバーガミニーの設計という可能性もあるのではないでしょうか?
  こちらが福井聖三一教会礼拝堂です。

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 私たちの高崎聖オーガスチン教会聖堂の設計者はウイルソンか上林敬吉かバーガミニーか、ミステリーとして思い巡らすこともできます。何れにしてもこの素晴らしい聖堂(祈りの家)が与えられていることに感謝し、また、多くの方が訪れる日が来ることを切に祈ります。