オーガスチンとマルコの家

勤務している高崎聖オーガスチン教会や新町聖マルコ教会の情報やキリスト教文化や信仰などの話題を掲載します。

高崎聖オーガスチン教会の紹介

f:id:markoji:20200413132834j:plain

 会館前の掲示板の当教会のことが掲載されている新聞記事等を熱心に読んでいる人がいます。教会を訪ねてこられる方が高崎聖オーガスチン教会や聖公会について「どんな教会ですか?」と質問をされます。いつも「英国国教会の流れをくむ教会です」と答えますが、続けてよく「カトリックですか、プロテスタントですか?」と聞かれます。そこで、聖公会や当教会についてコンパクトにまとめたものがあるといいと考え、「高崎聖オーガスチン教会の紹介」を作ってみました。掲示板にも掲示しました。これを読んで聖公会や私たちの教会への理解が深まることを期待します。当教会の信徒の方も、私たちの教会のことを再確認していいただけたら幸いです。

 

f:id:markoji:20200413134150j:plain

「高崎聖オーガスチン教会の紹介」

1   聖公会  
 私たちの教会は「日本聖公会」という、英国国教会の流れをくむキリスト教の正統な教派の教会です。
 キリスト教の教会は元々は「イエスは救い主である」という信仰に始まる集まりです。主イエスの遺志を継いだ人々の働きは中近東、アフリカ北部、ヨーロッパへと広がっていきました。
 16世紀以降、多くの教会が「ローマ・カトリック教会(旧教)」から分離していきました。このようにしてカトリック教会から分離していった教会を後に「プロテスタント教会(新教)」と言うようになります。
 当時、英国ではヘンリー8世が王室の問題をきっかけに1534年に英国教会をローマ・カトリック教会から分離し、Church in England を「Church of England(聖公会)」と呼ぶようになりました。
 聖公会ローマ・カトリック教会から分離していることから、また、英国教会となってからヨーロッパのプロテスタント教会からも多大な影響と受けたことから、プロテスタント的であると言えます。しかし、プロテスタント教会がそれまでの多くの伝統や習慣を捨て去ったのに対して「聖公会」は多くの伝統を残し教会の経験を保持しました。その意味で「聖公会」はカトリック教会と共通する多くの伝統や考えを残しており、アングロ・カトリックの教会であるとも言えます。
 現在、聖公会は英国を中心に世界165カ国以上に拡がり、Anglican Church また Episcopal Church と呼ばれています。
 日本では日本聖公会という一つの管区を構成しています。 
 
2   日本聖公会  
 日本では、1859(安政5)年、アメリカ聖公会のリギンズ師とウィリアムズ師によって宣教が開始されました。
 1889年には、大阪川口の聖三一神学校にて日本聖公会第1総会が開かれ、日本聖公会としての組織が成立しました。英米との関係の強かった日本聖公会は第2次世界大戦のおり、苦難の時を過ごしました。
 現在は全国11教区約300の教会と礼拝堂があります。
 その他、立教大学桃山学院大学平安女学院大学など約30の学校、約150の幼稚園保育園等保育施設、聖路加国際病院(東京)、聖バルナバ病院(大阪)をはじめとする医療機関社会福祉施設と深い関わりを持っています。 


3   北関東教区  
 高崎聖オーガスチン教会は、この世の法律のもとでは「日本聖公会」を包括法人として、「宗教法人日本聖公会北関東教区」の一つの枝です。つまり会社に例えれば日本聖公会北関東教区という会社の高崎支社にあたるでしょうか。
 北関東教区は群馬県、埼玉県、茨城県、栃木県の4県に23の教会があり、立教学院新座キャンパスの聖パウロ礼拝堂その他の関係施設があります。特に草津ハンセン病回復者への支援や高齢者・障害者福祉などの面に於いても聖公会は北関東の地で先駆的な働きをしてきました。聖公会修道院である聖ヨハネ修士会の建物が栃木県小山市郊外にあり、現在はその建物が改修され、「小山祈りの家」として教会の研修や黙想のため他教派の方々にも利用されています。

 
4   高崎の地で  
 1892(明治25)年、吉村大次郎伝道師により、借家に「講義所」が開かれ、宣教が始まりました。後に伝道師となった詩人の山村暮鳥(当時は木暮八九十)は、この頃、当教会の英語会話教室をきっかけに、婦人伝道師ミス・ウォールの日曜学校に通いました。
 教会はその後移転をくりかえし、1914(大正3)年に現在地(山田町8)に300坪を確保し、長屋風の建物を建築しました。1916(大正5)年、大野要蔵伝道師は幼年水曜学校を開設し幼少年の教育に努めました。1926(大正7)年に教会付属「聖光幼稚園」が設立されました。 
 現在の聖堂は1929(昭和4)年、市内初の鉄筋コンクリートによる建物として建てられ、同年12月21日にジョン・マキム主教によって聖別式が行われました。1948(昭和23)年、斎藤章二執事は大久保直彦主教により司祭に按手され、36年にわたって高崎に定住、司牧の任を果たしました。
 聖堂は2004(平成16)年に「第3回たかさき都市景観賞」を受賞し、2008(平成20)年には国の有形文化財に登録されました。併設されていた聖光幼稚園は1988年(昭和63)年に閉園しましたが、その後フリースクールや障害者のアート活動等、地域の活動の拠点として用いられました。
 2019(令和1)年に、計画開始から12年を経て、聖堂修復並びに会館改修がなされ、祈りの家と集いの場が新たに整えられました。